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息子たちに捨てられた80歳の母親が餓死=中国の発展が兄弟の絆を引き裂いた

2010年05月14日

80歳の高齢の女性が餓死した事件が注目を集めている。2009年4月9日、北京市通州区張家湾鎮張辛庄村で、80歳の女性・柴さんが自宅で死亡しているのが発見された。死因は餓死。世話を見る息子たちが仲違いをし、結局誰も面倒を見なくなってしまった。そのため柴さんは一人、自宅で孤独死した。死亡から10日以上が過ぎてようやく遺体が発見されたという。(2010年5月12日付レコードチャイナ「80歳の女性、自宅で餓死=苦労して育てた息子3人に実質遺棄され―北京市」)。

2010年5月13日、新華報業網は「80歳の餓死は社会の良心を痛めた」を掲載した。中国には「老後に備えて子どもを育てる」という古い伝統がある。実際、他に方法があるだろうかと問いかけ、政府は親を見捨てた子どもの法的責任を追及するだけではなく、老人を支援する役割を担わなければならないと主張した。

新華報業網の記事は「老人福祉の欠如」という社会問題をこの事件から読み取っている。しかし事件から透けて見える社会問題はこれだけではない。発展する中国の「拝金主義」「不動産価格の高騰」が兄弟の絆を引き裂いた。11日付法制晩報は柴さんの息子たちのいさかいの経緯を詳しく伝えている。

柴さんが住む家は1963年に夫の程さんが建てたもの。そして1982年、程さんは5人の息子と「兄弟が一部屋ずつ家の権利を有する。合計の価格は500元。この金額を他の兄弟に支払った時点で、家の所有権は五男・程一禾に帰する。また両親が病気した場合には兄弟は交代で面倒を見ること」との協議書を交わした。自分の死後、財産争いが起きることを恐れたためだった。

しかし2007年、一禾がアルコール中毒で死んだことがすべてを変えてしまった。もともと農村だった張家湾鎮だが、開発が進み地価は高騰。柴さんの家の価格も飛ぶような勢いで上がっていった。また柴さんは月に600元(約8140円)あまりの年金を受け取っていたが、老人一人が暮らすには十分なほどで、蓄えもあるほどだった。兄弟は交代で母親の世話をしたが、家の権利と蓄えをめぐりいさかいは絶えなかった。

「母は鳥のエサを食べさせられていた。」四男の程一石が世話を担当している時期に母を見舞った三男・程一平はそう言いふらした。自分の番でも同じように邪魔されるに違いないと思った長男の程一民は、家の扉に鍵をかけ、自分以外誰も入れないようにしたという。

2008年末、兄弟のいさかいは暴力沙汰となった。次男・程一田に激しく殴られた一民は病院に運ばれるほどの大怪我を負った。そのため2009年最初の当番は一民ではなく、一田が担当することとなった。3月まで世話を見た一田だが、4月からは一平が世話を見るべきと考えた。一方、一平は自分の担当は7月からと主張。二人の考えがすれちがったため、誰も面倒を見ることなく、80歳の母親は孤独に餓死した。

兄弟5人が育った家。本来ならば子どもたちの絆の象徴だったはずだ。しかし不動産バブルによる大金は、逆に兄弟のいさかいのタネになった。程一民は言う。「家のために兄弟がこんなことになってしまうなんて。今になってもよくわからない」、と。だが一方では「母の死の責任は、自分には全くありません」とも話している。金に目がくらんだ息子たち。母の悲惨な死も自らの過ちに気づくきっかけとはならなかった。

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