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<続報>甘粛省の土石流災害は人災だった?!整備不足のダムの決壊、森林の過剰伐採が背景に

2010年08月10日

2010年8月8日に発生した甘粛省甘南チベット族自治州舟曲県の土石流災害。10日正午時点で確認された死者数は702人に達しています(ニューズウィーク)。四川大地震もそうでしたが、険しい高地での災害だけに救援どころか、被害の確認すらも難航しているようです。


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(上記二枚の写真、クリックしてみて下さい。後ろの山が禿げ山です。)


さて、この災害の原因について興味深い記事があります。2010年8月10日、財経網は記事「ダム2基の決壊が舟曲の災害被害を悪化させた」を掲載しました。

現地取材後、舟曲県上流のダム2基の決壊が土石流の被害を悪化させた要因である可能性が高いことが明らかとなった。

舟曲県中心地上流には2基のダムがある。高い山の上にあるダムは県中心部の頭上に置かれた「たらい」のようなもの。上流のダムは高さ7~8メートル、幅4~5メートルの規模だが、昨年より改修工事を始めたばかり。まもなく完工するという今、土石流の被害を受けた。ダム決壊当時、数人の出稼ぎ農民が作業しており、命を落とした。

上流のダムの決壊は下流のダムの決壊を招いた。2つの「たらい」から同時にあふれだした水により、土砂や石が街道を埋め、県中心地を覆い尽くした。2基のダムは洪水防止と県中心地への給水という役割を担っている。今回の土石流により流れが詰まり、ダム湖が形成されたばかりか、被災地の飲用水の確保にも支障を来すこととなった。

ダムは深刻な被害を受けた月園村からわずか3キロの位置にある。月園村の被害は甚大で、村全体が押し寄せた土石流により平地と化した。800人以上いる村民のうち、生存が確認されたのはわずか120人に過ぎない。

土石流が発生した当時、県中心地に降っていた雨はそう強いものではなかったという。しかし上流の雨量は大きく、ダムの決壊を招いた。ダム決壊の理由はまだ明らかとなっていないが、付近が禿げ山になっていたことで、石が剥がれやすい状態になっていたことが被害を拡大させたことは間違いない。

現地住民によると、かつては付近の山々もうっそうとした木々に覆われていた。1980年代以来、村民たちは大量の伐採を続け、住宅の建材とした。そうして樹木の数はどんどん減っていったという。
两水库决堤加剧舟曲灾情-《财经网》

甚大な被害を出した土石流。それは「周りの山を禿げ山にしたこと」「長年、ダムの修繕工事を怠っていたこと」が要因の人災ではないかと指摘する記事です。

もっともダムの整備不足、森林の消失といった問題はこの地だけではなく、中国全土どこにでもある問題。また同じような悲劇が繰り返される可
能性は高いのかもしれません。

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(Chinanews)

*記事についての情報や間違いなど教えて頂けると大変助かります!コメント欄か、メール(21chinanews●gmail.com、●を@に変えてください)でお願いします。


<過去記事>
Kinbricks Now★:村が一瞬で平地になった=2000人を一瞬で飲み込んだ超大型土石流―中国・甘粛省

Kinbricks Now★:<続報>甘粛省舟曲土石流の傷跡=閲覧注意、官制メディアが伝えない写真48枚

<関連記事>
<大洪水>国土の40%近くが土壌流出の危機に直面―中国紙


***********レコードチャイナ掲載用原稿********
<中国気になる話>土石流災害は人災だったのか?!ダムの整備不足、森林の過剰伐採が招いた悲劇―中国メディア

甘粛省甘南チベット族自治州舟曲県で起きた超大型の土石流災害。10日正午時点で確認された死者数は702人、不明者は1042人に達した。なぜこれほどの災害が起きたのか、未然に防げなかったのか、今後の検証が求められている。2010年8月10日付財経網は記事「ダム2基の決壊が舟曲の災害被害を悪化させた」を掲載、災害は人為的要因によるものだと分析した。以下はその抄訳。

現地取材後、舟曲県上流のダム2基の決壊が土石流の被害を悪化させた要因である可能性が高いことが明らかとなった。高い山の上にあるダムは県中心部の頭上に置かれた「たらい」のようなもの。上流のダムは高さ7~8メートル、幅4~5メートルの規模だが、長年、未整備のままだったという。昨年、ようやく改修工事が始まった。まもなく完工するという今、土石流の被害を受けた。ダム決壊当時も出稼ぎ農民数人が作業中で、命を落としている。

上流のダムの決壊は下流のダムを直撃、決壊させた。2つの「たらい」から同時にあふれだした水に押し流された土砂や石が街道を埋め、村や住宅地を覆い尽くした。2基のダムは洪水防止と県中心地への給水という役割を担っている。今回の土石流により流れが詰まり、ダム湖が形成されたばかりか、被災地の飲用水の確保にも支障を来すこととなった。

ダムは深刻な被害を受けた月園村からわずか3キロの位置にある。月園村の被害は甚大で、村全体が押し寄せた土石流により平地と化した。800人以上いる村民のうち、生存が確認されたのはわずか120人に過ぎない。

土石流が発生した当時、県中心地に降っていた雨はそう強いものではなかったという。しかし上流の雨量は大きく、ダムの決壊を招いた。ダム決壊の理由はまだ明らかとなっていないが、付近が禿げ山になっていたことで、石が剥がれやすい状態になっていたことが被害を拡大させたことは間違いない。

現地住民によると、かつては付近の山々もうっそうとした木々に覆われていた。1980年代以来、村民たちは大量の伐採を続け、住宅の建材とした。そうして樹木の数はどんどん減っていったという。

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