中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年01月14日
小国からも領土を分捕る中国の膨張主義(ニューズウィーク、2011年1月13日)中国の領土拡張に不快感を示したのはニューズウィークのコラムだけではない。当事者のタジキスタンでも、野党が「外交的敗北だ」と反発した。また、勝者のように思われている中国だが、中国ネット民の間では「多くの領土を失った」と嘆く声が多い。
広大な国土の中国が、67分の1の大きさのタジキスタンと領土争いをするのは了見が小さいように思えるが、小さな土地でもその意味は大きい。パミール高原はアフガニスタン東部に始まり、タジキスタンとパキスタンの国境をまたいで中国まで続く、地政学的に非常に興味深い土地だ。
今週は中国の膨張主義を痛感させられニュースがほかにもあった。週の初め、インドメディアは中国が昨年9月に国境を越えて紛争地帯のカシミールに軍の部隊を侵入させたと報じた。中国政府は否定しているが。
パミール高原の領土問題は、19世紀後半、清朝と帝政ロシアの時代にまでさかのぼるという(おそらくはイリ条約で残った問題。日本語版ウィキペディア「イリ条約」)。以来、130年間に続く問題は、今回の条約批准で完全に解決した。国境争いという重石がなくなった中国とタジキスタンは、これで気持ち良く商売の話ができるという寸法だろうか。
問題は中国が返還を求めていた領土は計2万8500平方キロメートル。今回の条約で獲得したのはわずか1000平方キロメートルで、「大部分の土地が返還される可能性を失った」と嘆く声が強いようだ。
思い出されるのが2008年の大ウスリー島(中国名:黒瞎子島)返還。タラバロフ島(中国語名:銀竜島)と大ウスリー島の西側半分というロシアが実効支配する土地を中国は手にし、中ロ間の国境問題が完全解決する歴史的なイベントとなった。しかし、中国ネット民の間には「大ウスリー島の東側は帰ってこなかった」「というか、沿海州返せ」(沿海州はウラジオストックがあるロシア極東の地域。1860年、第2次アヘン戦争後に帝政ロシアに割譲された)。
想像以上にネット民の反発が強かったためか、中国当局は「タジキスタン議会、対中国境確定条約を批准」のニュースを次々と削除しているようだ。
http://newsing.jp/entry?url=kinbricksnow.com%2Farchives%2F51665497.html