• お問い合わせ
  • RSSを購読
  • TwitterでFollow

中国がベトナムから学ぶこと<2>=ベトナム国会、政治指導者、メディアを考える―北京で考えたこと

2011年02月23日

中国がベトナムに学ぶ!?(その2)―中国からみたベトナム国会、政治指導者、メディア

その1(「中国がベトナムから学ぶこと=ベトナム共産党大会報道を読む―北京で考えたこと」)から随分時間が経ってしまいましたが、「中国がベトナムに学べるかもしれない!?シリーズその2」です。今回は国会を中心とした立法府の在り方などについて。ベトナムの取組みを紹介した1月27日付南方週末をご紹介します。単なる隣国事情の紹介記事と見るべきか、それとも中国の現状との比較ととるべきでしょうか……。
china_vs_vietnam

首相に、そして政府に異議を唱える国会


ベトナムで近年、議論となっているのは中部高原地域のボーキサイトに関する案件。この地域は少数民族が多く住み、経済的にはまだ貧しいものの、豊かな生態系をいまだに残している地域である。環境汚染を引き起こしかねないボーキサイトの開発を許すべきかどうか。2009年1月、同国の革命元老であるヴォーグェンザップ将軍は、当時98歳の高齢にもかかわらず、グェンタンズン首相に書面で再考を求めた。

*当記事はブログ「北京で考えたこと」の許可を得て転載したものです。

20110223_vietnam1
*ベトナムの中部高原地域。ラオスとカンボジアと国境を接している。

2008年には既に前期工期がスタートしている。ベトナム国会2006年第66号決議では、20兆ドン(約10億ドル)以上の投資案件については、国会の事前審査が必要だと定めている。しかし、この案件は一つのプロジェクトを細分化して額を小さくすることで、国会審査を経ずして開発を始めている。これに怒った国会議員は首相に詳細な報告を求め、政府報告が国会に提出されることとなった。

ベトナムの国会議員は大半が「祖国戦線」と呼ばれる大衆団体によって推薦されている。つまり基本的にベトナム共産党のコントロール下にあるのだが、しかし国会がたんなるラバースタンプ(ただ賛成するだけの機関)に堕しているわけではない。2010年には数百億米ドルもの大型案件である南北高速鉄道プロジェクトを否決した実績もある。


フランス統治の影響


ベトナム首相の経済顧問を務めた経歴を持つLe Dang Doanh中央経済管理研究院元院長は言う。ホーチミン時代から、ベトナムには連合政権という性質があり、民主の起源になっている、と。また、ベトナムの国会制度にはフランスの影響がある。たんに国会の英語名がフランスと同じく「National Assembly」と呼ばれるのみならず、実際に制度としても、首相が定期的に国会質問の場に立ち、公開の議論が行われている。

20110223_vietnam2
*フランス建築様式のサイゴン大教会(@ホーチミン市)。植民地時代の影響は建築だけではなく、一部の国家制度にも残っていると指摘されている。


今だ残る南北バランスの智慧

ホーチミンは異なる勢力と協力することに長けていた。彼の死後は、同格の経歴と経験を持つ指導者たちの均衡が図られることとなった。中でもベトナムの指導者には、南北のバランスを取るという伝統がある。例えば、今回新しく総書記に就任したのが北部出身のNguyen Phu Trongであるが、その代わりに国家主席・首相には南部の人間が就任することが予想される。

バランスとは、中央の指導者が地方指導者の支持を得る必要があるという面にも表れる。ドイモイ(刷新)政策以降、1990年代に30数省であった地方自治体は、2010年には64にまで増えているが(訳注:ハノイがハタイ省を合併したため、厳密には63省・市なはず)、1月に行われた共産党大会では地方出身の中央委員が増加。過去最高の数を記録する「一大勝利」となった。

今回就任したNguyen Phu Trong総書記は、長年イデオロギー理論研究に従事。党の理論紙である雑誌「共産」編集長、ホーチミン国家政治学院院長を歴任してきた。典型的な保守系の「北方幹部」である。よってズン首相(南部出身)の首相留任はおそらく問題がなくなっただろう。ホーチミン市の識者に言わせれば「総書記ポストに向けた競争は、生き死にを争うものではない」のだ(訳注:総書記が北なら、首相は南、といったバランスの問題、という意味と解釈した)

もっともこうしたバランス感覚は改革派が圧倒的優位を築けない状況をも作り出している。さらに国有企業をめぐる既得権益も改革の障害だ。ベトナムの国有企業改革・私有化は、資産証券化・「流動化」という手法が採用されている。ズン首相は正にその推進役である。

しかし、ベトナムではあらゆる政府部門が国有企業を保有しており、軍隊までもが企業を所有している。「軍隊銀行」は商業銀行として市場に参入しているほど。通信分野などでも国有企業の存在はきわめて大きい。不動産業や旅行業など国民の生活に不可欠でかつ国有企業が参入するべきとはいえない分野にまで、「過剰に」発展しているのだ。昨年のベトナム船舶工業グループ(Vinashin)のスキャンダルは、そうした問題の一例である。(訳注:乱脈経営・不正行為が発覚し、会長が解職・逮捕される結末となり、ズン首相の監督責任も問われた)


急進的な改革の動き(とその結末)、物言うメディアの存在


2006年には数十名の国内外知識人たちが「ベトナム民主党」結党をもくろんだが、最終的には登記を許されなかった。また、2007年にはドイモイ政策の初期参加者などが100名強となる専門家からなる、非政府系研究機関「Institute of Development Study(IDS)」を設立したが、その中には「民主化」のスローガンもあり、1年後には解散を余儀なくされた(訳注:IDS解散についてはBBCVietnameseの記事を参照;ベトナム語ですが)

しかし、幾多の問題を抱えるとはいえ、ベトナムの改革は当初の路線から揺らいではいない。そのことはThanhNien(「青年」)紙のように独自の姿勢を崩さないメディアが存在することにもうかがえる。今回の党大会で中央委員に選ばれたばかりの2名の若手政治家にインタビューを試みたが、両名は単に若いだけでなく「大人物」の親族でもあった。

35歳の Nguyen Thanh Nghiはホーチミン市建築大学の副校長。同時にズン首相の長男でもある。また34歳のNguyen Xuan Anhは元共産党規律検査委員会党委書記の息子であった。Thanh Nien紙は次のような率直な質問をぶつけている。「あなたの成功において、父親の存在はどのくらいの比率を占めますか?」同様に2名にインタビューをしたTuoiTre紙の記事も参照:これまたベトナム語ですが)


【考えたこと&補足】

この記事の南方週末ホームページ・コメント欄には「ベトナムの方が進んでいる」「中国への良い風刺だ」とのコメントが並んでいます。特に後者の意味は大きいでしょう。

上述した中でのボーキサイト案件では、環境影響のみならず、実は中国企業(中国アルミ;CHINALCO)の子会社が受注していますが、多くの中国人労働者が流入している問題が、ベトナムで懸念されていることについて、南方週末の記事は恐らく意識的に捨象しています。カンボジア、ラオスとの国境も近く、少数民族からなる反体制派も存在するこの地域で、中国人の大規模なコミュニティが作り上げられてしまうのでは。そうした懸念はベトナム政府、そして多くのベトナム人が共有するもののようです。

また、ベトナムにおいて存在感を増す国会の役割についても注目するべきでしょう。私がベトナムで働いていた際に見聞したことですが、ベトナム政府各省庁は、国会前になると「国会質問の準備をしないと」と、まるで日本の省庁と同じような状況に置かれていました。それも年を追うごとに真剣味が増しているようです。

国会質問は、各省庁の大臣級が返答し、生中継されます。もはや国会開催期間の風物詩となりました。厳しい質問をぶつける国会議員は、ちょっとした「スター」扱いです。一方、中国の両会(全国人民代表大会と全国政治協商会議。日本の国会に相当)はというと、規模は1000人単位、議論はほとんど公開されません(少なくとも生では)。ベトナムでは今回の党大会で、国会委員長が総書記に就任するなど、象徴的にもますます国会の役割が大きくなった感があります。

また中国との比較という意味では、大物政治家2世の登場があげられます。中国では次期最高指導者の習近平など太子党の台頭が目立ちますが、ベトナムでも記事中に取り上げられた2人を含め、表舞台への登場が目立ちます。

70年代に戦争が終わったわけですが、戦争を戦った世代がまだ政治の第一線にいる中、その子ども世代も30代にさしかかり、活躍を始めました。政治改革などでは中国よりも先んじているベトナムですが、二世議員問題では逆に中国の後を追う展開とでも言うべきでしょうか。ただ、そうした二世議員に対しても厳しい質問をぶつけるメディアがあること。中国と同じく、メディア規制の厳しいベトナムなのに、と意外な印象があるかもしれません。

経済分野ではベトナムよりも何歩も先に進んでいる中国。しかし、メディアの自由さなど政治、言論の分野では、意外にもベトナムが先んじているところもある(もちろん政治、言論分野でも課題は山積みですが)。二世議員への厳しい質問は、そうした分野の一例と言えるのではないでしょうか。

<前編>
中国がベトナムから学ぶこと=ベトナム共産党大会報道を読む―北京で考えたこと

*当記事はブログ「北京で考えたこと」の許可を得て転載したものです。

forrow me on twitter


トップページへ






コメント欄を開く

ページのトップへ