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拷問の3年後、後遺症で僧侶が死亡=ダラムサラで追悼集会―チベットNOW

2011年04月09日

拷問の後遺症で僧侶が死亡

2008年4月9日、外国メディアグループがアムド、ラプラン・タシキル僧院に来た時、勇敢にもカメラの前に躍り出てチベットの隠された真実を必死に訴えた僧侶グループ。その中の1人サンゲ・ギャツォ氏が2月末に亡くなったというニュースは先のブログでお知らせした。

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Phayul.comの報道。

今日また、その中の1人の僧侶が亡くなったというニュースが入った。

ジャミヤン・ジンパ(37)は4月3日、両親にみとられ静かに亡くなった。
外国メディアの前に出たグループの内、彼以外は全員逮捕を怖れその後すぐに山に逃げ逃亡生活に入った。1人僧院の自分の部屋に残っていた彼を逮捕するため、警官は部屋に押し入り、彼に激しい暴行を加えた。亡命政府のネットには「警官隊は部屋から引きずり出す前に、暴行により彼の手足を折った」とある。

*当記事は4/5付ブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。




※ジャミヤン・ジンパが参加した2008年4月9日の訴え。

その後、拘置所で彼は激しい拷問を受け、死の一歩手前まで追いやられた。彼が拘置所内で死ぬのを避けるために10日後、警察は彼を両親の下に送り返した。

その時ジンパは既に虫の息で、視力はほとんど失われ、自分の家族を見分けることさえできなかったという。

そのときから年老いた両親は3年間、彼の回復を願いできる限りの治療を受けさせた。何時かまた自分の足で歩けるようになるよう身体を支え、あらゆる手を尽くした。しかし、その甲斐もなくジャミヤン・ジンパは4月3日、自宅で息を引き取った。彼のケースも拷問死である。

彼は1993年に一度インドに来てTCVスジャ・スクールで3年間学んでいる。その後再び故郷に還り、仏教を勉強するためにラプラン・タシキル僧院に入った。僧院では英語が少しできるというので、僧院を訪問する外人のガイドもやっていたという。

ダラムサラでは今夕、彼を追悼するためのキャンドル・ライト・ビジルと集会が行われる。

参照:CTA Web News Phayul.com The Tibet Post

*当記事は4/5付ブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。

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