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2011年04月27日
支援団体はパンチェン・ラマ開放を求めるオンライン・キャンペーンも行っている。(こちらFree the Panchen Lamaにアクセスすれば、この署名キャンペーンに参加できる)
今日ダラムサラで行われたイベントでは2000年に中国当局の宗教活動に対する干渉から逃れるために亡命したカルマパのパンチェン・ラマ11世へのメッセージも読み上げられた。
メッセージの中でカルマパは若きパンチェン・ラマ11世の安寧への祈りを捧げ、パンチェン・ラマが自由にその宗教的役割を全うできることを希望、彼への連帯を表明している。
パンチェン・ラマ11世、ゲンドゥン・チュキ・ニマは1989年4月25日、チベットのラリ地区に生まれた。1995年5月14日、ダライ・ラマ14世は当時6歳であったゲンドゥン・チュキ・ニマ少年をパンチェン・ラマ10世の転生者であると発表した。
その3日後、ゲンドゥン・チュキ・ニマ少年と彼の両親、家族は行方不明となり、パンチェン・ラマ11世捜索の責任者であったタシルンポ僧院の総院長チャデル・リンポチェと他の捜索隊の数人が逮捕された。
それから16年が経った今もニマ少年と家族は行方不明のままだ。去年チベット自治区書記のペマ・ティンレーは記者の質問に答える形で、ニマ少年に関し「青年である彼はチベットのどこかで、家族とともに楽しい生活を送っている」とだけコメントした。彼の存在に対する何の証拠も示されなかった。
パンチェン・ラマとダライ・ラマは歴史的に、どちらかが崩御した場合、相互に次の転生者を探しだすという役割を担っている。中国はチベット人が誰も信じない偽と呼ばれるゲルツェン・ノルブ少年をパンチェン・ラマとして認定し、政府の重要ポストに就かせている。
ダラムサラでは今朝ツクラカンでパンチェン・ラマ11世の安寧を祈る特別祈祷会が行われた。
亡命タシルンポ僧院がある南インドのバンガロールでは、中国政府に対しパンチェン・ラマの安否の証拠を求めるため、60人の僧侶と約100人の学生が参加するハンストが行われている。
参照:4月25日付けphayul.com 1 2
6歳の時の写真から、科学者が予測したという、現在のゲンドゥン・チュキ・ニマの顔。
*当記事は4/25付ブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。
支援者が色々と準備してくれたとはいえ、少年が徒歩でヒマラヤ越えをしなければならないほどの決意とは、どのようなものであろうか。
このとき既にパンチェンラマ11世は行方不明であった。
考えるだけでも恐ろしい。
このようなやり方を見ていると、日本が中国政府とまともに付き合おうとするのは間違いだと思ってしまう。