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2011年08月13日
■経歴
王茘蕻さんは1955年生まれ。1975年、陝西省延安市に「下放」(知識青年を農村で労働改造すること)された。文革終了後、1978年から延安大学中国語学部に入学。卒業後は北京市人民代表大会職員として働いていたが、1991年に辞職し、「下海」(官僚がビジネスに転じること)した。2008年に仕事を辞め、ネットを中心に公益活動に従事するようになった。
2008年の上海警察署襲撃事件(レコードチャイナ参照記事)では容疑者の母親に、2009年のホステス官僚刺殺事件(本サイト参照記事)では容疑者に現地までおもむいて対面している。他にも多くの問題に取り組み、人権活動家としてその名を知られるようになった。2010年には劉暁波氏のノーベル平和賞受賞を喜ぶ宴会を開いたところ、当局に8日間勾留された(本サイト参照記事)。
以上の経歴は2011年7月16日付博訊網を主に参照している。
■福建省ネットユーザー・書き込み事件
さて、今回の逮捕と起訴は、「福建省ネットユーザー・書き込み事件」に起因するものだった。「中国公民維権連盟」掲示板掲載のまとめを主に参照した。
2008年2月10日、福建省福州市閩清県で26歳の女性・厳暁玲さんが亡くなった。交際相手に電話で呼び出された後に死亡し、病院に運び込まれた。厳さんのお母・林秀英は変わり果てた遺体を見て、また情況を知り、交際相手らによる強姦殺人事件に違いないと考えるようになる。警察に厳正な調査を求めたが、厳さんの体内からは精液は検出されず、「子宮外妊娠中の卵管破裂」が死因との鑑定結果が下された。
警察の鑑定結果に林さんは納得することができず、県、市、省政府に事件の解明と再調査を求めたが、取り合われることはなかった。厳さんの交際相手が県警察幹部、県裁判所幹部と一緒にカラオケ店に出資、経営していることを知り、犯人は司法と結託しているとの疑いを強めていった。
2009年5月、範燕瓊さんら福州市の一部ネット民は林さんのことを知った。6月、範さんらは発言をまとめた文章を作成。ネット掲示板に掲載すると同時に、米華字ニュースサイト・博訊網に投稿した。書き込みは注目を集め、たちまちネットのホットトピックとなった。この事態に対し、福州市警察はネットユーザー十数人を逮捕。最終的に範燕瓊さん、呉華英さん、游精佑さんが「誣告陥害罪」で逮捕される。
人権派ネット民の活動が大規模な刑事事件へと発展したこと、警察側が「国家機密にかかわる」という不思議な名目で弁護士の接見を拒否したことなどから、事件は「人権派クラスタ」間で大きな注目を集めた。
■王茘蕻の罪状
福建省ネットユーザー・書き込み事件でも、王茘蕻さんは積極的な動きを見せた。福建省省長、全国人民代表大会などに公開書簡を送ったほか、裁判当日には裁判所に駆けつけて声援を送った。そうした活動の中でも、2010年4月16日に福州市人民法院前に集まり、横断幕を手にスローガンを叫び、また国家やインターナショナルなどを歌ったことが、「寻衅滋事罪」(騒動挑発罪)とされて起訴された。
今年3月21日、刑事拘留される前に残したツイッターの書き込みが今も残っているが、生々しさを伝えている。
建物の下にパトカーが来た。もうすぐ国保(中国公安部国内安全保護局)がやってくるという。おそらく連れ去られるだろう。ツイ民のみなさん、お元気で。今晩戻ることがなければ、おそらく壁の中で休むことになるでしょう。では!
SKYPEの連絡リストに私を入れている人は削除してください。
来るべきものは必ずやってくるものだ。