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止められぬ焼身抗議の波=僧ダワ・ツェリン、今年10人目の犠牲者に―チベット(tonbani)

2011年10月26日

■止められぬ焼身抗議の波=僧ダワ・ツェリン、今年10人目の犠牲者に■

亡命側に伝えられた情報によれば、2011年10月25日、現地時間正午頃(9時半という情報もある。VOTはインド時間9時半、現地時間12時という)、カンゼ・チベット族自治州カンゼにあるカンゼ僧院の僧侶ダワ・ツェリンが中国政府に対する抗議の焼身自殺を行った。

僧ダワ・ツェリンは父デレック、母ドムツォの子、38歳。RFA によれば彼は31歳、イェパ村付近の出身。カンゼ僧院に7年籍を置いていた。

20111026_ダワ・ツェリン_焼身抗議
*僧ダワ・ツェリン。写真はウーセル女史twitterより。

20111025_チベット_カンゼ僧院
*カンゼ僧院。RFAより。

僧院の中庭で恒例のトルマ供養(RFAによれば仮面舞踏「チャム」)が行われていた最中、大勢の僧侶や一般人が見守る中、僧ダワ・ツェリンは突然儀式が行われている輪の中に走り出て、ガソリンを被り火を付けた。

*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


RFAに南インドの僧チュギェルが伝えた報告によれば、僧ダワ・ツェリンは

「焼身を実行する前に、高僧ロンダ・ラマの玉座に祈りを捧げ、焼香を行い、祈りの旗を上げた」

「その後、彼は頭から灯油を被った。近くにいた数人の服にも火が点いた」

彼は炎に包まれながら

「ダライ・ラマ法王に長寿を!ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!チベットに自由を!民族平等!」

等のスローガンを叫んだという。周りにいたチベット人は驚き、すぐに火を消そうとしたが、火勢が強く彼が倒れるまで火を消すことができなかった。その後、僧侶たちが彼を病院に運び込んだという。

RFA「仲間の僧侶たちにより火は消され、彼は僧院の車でカンゼ人民病院に、急ぎ運び込まれた。僧院に駐在していた数人の警官が後を負い病院に向かった。その後、武装警官隊が呼ばれ地域は閉鎖された」

カンゼ僧院の僧侶の話によれば、ダワ・ツェリンは治療を拒否したという。

「彼の頭、首、鼻はすべてひどく焼けただれていた。皮膚ははがれていた。彼は治療を拒み、僧侶に死なせてくれと言った」

チュギェルによれば、ダワ・ツェリンは病院で包帯を巻かれた後、カンゼ僧院に戻されたという。

「病院では包帯を巻かれたが、病院側から生きる望みはないと言われた。そこで僧侶たちは彼を僧院に連れ帰った」

以上の情報(RFA以外)を伝えたのは元亡命議会議員ペリ・ジグメ・ワンギェルであるが、もう1人の情報伝達者南インド、セラ・ジェ僧院の僧ロプサン・ダクパによれば、火を消したのは僧院に2008年以降常住している保安要員であるという。

彼によれば、僧ダワ・ツェリンは保安員が連れ去ろうとした時、「どこへも連れて行かないでくれ」と泣いて懇願したという。また、病院に運び込まれた後にも彼は治療を一切拒否したので、再び僧院に運び込まれたという。現在の容態は不明。事件後、僧院は武装警官隊に包囲された。


■今年10人目の焼身抗議者、今月に入り6人……


今年に入り抗議の焼身を行ったチベット人はこれで10人となる。今月に入り6人目。

議員のババ・ケルサン・ギェルツェンがンガバからの情報を伝えるところによれば。21~22日に掛けンガバに中国語で書かれたチラシが張り出された。その中には

「このような状況が続くなら、さらに40人のチベット人が命を捧げる用意がある」

と書かれていたという。

参照:25日付けTibet Net チベット語版、25日付けTibet Times チベット語版、25日付phayulVOTチベット語放送、25日付けRFA英語版


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*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


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