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クリントン訪問の衝撃=地価20%上昇、うごめく各国資本―ミャンマー(ucci-h)

2011年12月09日

■クリントン米国務長官の歴史的ビルマ訪問のインパクト■

*当記事は2011年12月8日付ブログ「チェンマイUpdate」の許可を得て転載したものです。


20111209_クリントン_ミャンマー_
*中国・浙江在線の報道。


■クリントン訪問は「開放路線への勇気付け」

2011年11月30日(水)から12月2日(金)まで、クリントン米国務長官が歴史的なビルマ訪問をはたした。クリントン帰国後の翌週には、首都ヤンゴン(ラングーン)の不動産価格が、あるところでは150万ドル(約1億1600万円)から180万ドル(約1億4000万円)に跳ね上がったというから、そのインパクトは大きなものだった。

クリントンの訪問の目的は、「開放路線への勇気付け」だった。そして、アメリカの「段階的援助」方針は、うまく伝わったようだ。ビルマは、中国の属国化から逃れるために、開放路線を敷いた。開放路線は西側の投資への開放だから、当然民主化がキーになる。情報機関を開放し、選挙法を変え、新しい労働法を導入してきた。

しかし、政治犯の不十分な釈放、少数民族への弾圧といった政治・軍事問題が残っている。アメリカは、この点でビルマがカードを切ってくるための、アメを示した。一挙に経済制裁の撤廃とまでは行かないが、ステップ・バイ・ステップでビルマに大使を送ったり、ミャンマーの呼称を認めるなどのことを示唆したようだ。また、アメリカは北朝鮮との関係を切ることも条件に盛り込んだ。

20111209_ミャンマー_新国旗
*昨年2010年10月、改訂された新国旗。日本は過去、いち早く軍事政権を承認。呼称を「ミャンマー」に変更した経緯がある。米、英政府などは「ビルマ」呼称を使用し続けてきた。(水島)


■開かれる市場、うごめく各国資本

ビルマの方は、これでトンネルの向こうに光が見えたわけだから、段階的に宿題をつめていくことだろう。また、このクリントン訪問によって開放路線の後押しを得たので、欧米、日本、インド、ASEANからの資本を、競わせて導入していくことになる。

日本は12月6日の会談で、条件付でビルマにODA供与することを表明している。クリントン訪問とあわせて、ドイツの財界はビルマを訪れ、インドやベトナムは首都ヤンゴンでトレード・ショウを開催している。


■「脱中国」だけでは語れない内情


ビルマの開放路線は、テイン・セイン新大統領一人の革新ではない。大立者のタン・シュエの承認があるはずだ。開放路線最大の理由は、中国の属国化の排除だが、その他にも2つほど理由があると、「戦略国際問題研究センター(CSIS)」の東南アジアプロジェクト最高顧問アーネスト・バウアーは見ている。

Not only in the focus of media...
Not only in the focus of media... / thomaswanhoff


【タン・シュエ】(Than Shwe、1933年2月2日 - )は、ミャンマーの軍人、政治家。階級は最高の上級大将。同国の国家元首、前国家平和発展評議会(SPDC)議長などを歴任した。

1992年4月23日より同国の軍事政権トップとして独裁的地位にあり、60歳の定年に達した時、終身国家元首に就任することが決定した。
wikipedia

タン・シュエはここまでの軍事化路線を見てきて、このまま行くとさらに強権を行使する人間が出現し、自分の身も危ういと感じた、ということである。もうひとつは、マレーシア、ベトナム、シンガポール、フィリピン、インドネシアといった周辺国で起こっている、経済のみならず政治面での民主化、革新の進行である。かつての大国ビルマは、ひとり取り残された格好だった。

クリントン訪問後の変化については、また追っていきたいと思う。

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*当記事は2011年12月8日付ブログ「チェンマイUpdate」の許可を得て転載したものです。


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