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2011年12月10日
今月2011年12月1日に焼身抗議を行った元僧侶ロンツァ・テンジン・プンツォク氏(46)が、6日に死亡していたことが8日判明した。遺体は当初、家族に引き渡されたとの情報があったが、後にこれは否定された。今も当局が管理しているか、すでに処分された可能性が高い。
13人目の焼身抗議者=チベット自治区内、妻子ある身では初めて―チベット(tonbani)
■チベット自治区内では初めての焼身抗議者
テンジン・プンツォク氏は12月1日午後3時過ぎ、チベット自治区チャムド地区カルマ郷で中国政府のチベット政策、カルマ僧院への弾圧を批難するチラシを配った後、政府庁舎付近でガソリンをかぶり、焼身抗議を行った。多くの人が大きな炎に包まれる彼の姿を目撃した。彼が「ダライ・ラマ法王よ思し召しあれ!」と叫ぶのを聞いたと言う人もいる。
RFAは警官が駆けつけ火を消したというが、中国側の報道では通信技師2人が車から消火器を取り出し火を消したという。また、火を消したのはまわりにいたチベット人たちだという情報もある。何れにせよ、彼は大やけどを負い、その後チャムドの軍病院に運び込まれた。中国側は「容態は安定している」と報道したが、その後数日して彼は亡くなった。
彼の妻ドルマは夫の焼身を知りすぐに現場に掛け付けた。しかし、そこで当局に拘束され、今も行方不明という。家には幼い息子2人と娘1人が残されている。親戚の人たちが面倒みていると思うが、彼らも当局の嫌がらせを相当受けているとの報告もある。彼が焼身を行った後、警官が彼の自宅に押し入った。ダライ・ラマ法王の写真、宗教書、CDを押収したという。
■爆発事件後の弾圧が引き金に
彼の焼身の背景にはカルマ郷の政府庁舎で10月26日に怪しげな爆発事件があり、その後カルマ僧院の僧侶たちが弾圧を受けたという事実がある。僧院は武装警官隊に奇襲され、70人の僧侶が拘束され、40人が山等に逃げた。幼い僧侶たちは家に返されたという。逃げた僧侶の家族たちの家には武装した警官が大勢現れ、4日以内に彼らを呼び戻さねば家族を逮捕すると脅していた。
「郷庁舎爆破事件は政府の陰謀だ」と現地住民=事件を口実に僧侶を弾圧―チベット(tonbani)
チベット自治区庁舎で爆発事件=現場の壁に「チベット独立」の赤文字(tonbani)
テンジン・プンツォク氏もカルマ僧院の元僧侶であったが、彼の10歳になる長男チュイン・ニマもカルマ僧院の僧侶であった。彼は家に返されというが、度々警察に呼び出され尋問を受けねばならなかったという。
■「彼は異常性格者として知られていた」歪められた理由
彼は焼身を実行する前、周りの友人たちに当局のカルマ僧院に対する弾圧に対する強い怒りを示していた。また、焼身前に配ったチラシの中には「今、僧侶や尼僧が拘置所の中で暴力を受け、厳しい尋問を受け苦しんでいる。生き続けるより死にたい」「仏教の修行を禁止するこの独裁者たちをどうして信用できよう。僧侶たちに力はない、我々が立ち上がるべきだ」等と書かれていたという。
このようにテンジン・プンツォ氏の焼身の理由、原因、目的は明らかに中国政府のチベット人弾圧に対する抗議である。しかし、中国側は彼は異常性格者であり、木材を盗んだことを咎められ自殺したのだという話をでっち上げている。
2011年12月2日付け新華社英語版で、「焼身を行った農夫の容態は安定している」と報じ、記事の中で彼の年を42歳とし、火は通信技師2人により消され、病院に運び込まれたとしている。
「彼は村の会合で公共の木材を非合法的に伐採したことを責められた。村の役人は彼の家にあった違法木材を没収する事を決定した。テンジン・プンツォクは怒り、ナイフを取り出し森林監督官に襲いかかろうとした」
「彼の自殺はこの事件に関係していると思われる。彼は異常性格者として知られていた」