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幻のチベット国家建立の指導者「ゲタク・リンポチェ」の悲劇(tonbani)

2011年12月15日

■ウーセル・ブログ「利用されるゲタク・リンポチェ」■

*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


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■「プゥパ人民共和国」と「ゲタク・リンポチェ」

ウーセルさんは2011年10月5日のブログで「利用されるゲタク・リンポチェ」という題で毛沢東の長征時にカム、カンゼで設立された「プゥパ人民共和国」の話をされている。このチベット人による独立政府を目指した組織は結局毛沢東に騙され、利用されただけであった。

今では「朱徳総司令とゲタク・リンポチェ5世の記念館」というものまで建てられ、すっかり毛沢東政権を最初から支持したチベット人として祀られてしまっている。コラムでは毛沢東と共産党が如何にチベット人を騙し、利用したかを明らかにしている。また、毛沢東がチベットを国内と見なさず、国外と見なしていたという事実も文中で指摘されている。

写真は全てウーセルさんのブログからだが、最初の4枚が「2011年7月にカンゼで撮影」、最後の1枚は「この写真はネットでダウンロードした」との説明が付けくわえらている。

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『利用されるゲタク・リンポチェ』

文:ウーセル 翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん

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■「朱徳総司令とゲタク・リンポチェ5世の記念館」


7月末にカンゼに着いた時、道路わきの電柱に「朱徳総司令とゲタク・リンポチェ5世の記念館」という看板が掛かっているのにふと気付いた。最近建てられたのだろうか?矢印の方向に進み、街の中心部から離れると、きつく閉められた赤門の後ろに中国風の建物があった。周囲には草木が茂り、江沢民が揮毫した記念館の名前が人目を引いている。

ネットで調べると、この記念館は1991年に着工、1993年に完成し、カンゼ県とカンゼ州、四川省の「愛国主義教育基地」になっている。「ゲタク・リンポチェ5世の生涯や紅軍の長征時のエピソード、革命的な文化財などを紹介」し、「民族地区で初めて成立した革命政権、プゥパ政府の副主席ゲタク・リンポチェや、政府に加わったチベット族民衆の絵画や写真など」を所蔵しているという。

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■プゥパ人民共和国

プゥパ(チベット人の意)政府とは何か?説明すれば長くなるが、中国共産党が認めている通り、紅軍は長征中に二つの「共和国」、つまりゴロドシャ?(格勒得沙)共和国とプゥパ人民共和国の成立を助けた。

どちらもチベット人の土地に建てられたチベット人の政権で、ゴロドシャ政府はロンダクなどのギャロン地区(ゴロドシャはギャロン方言でチベット人の意)、プゥパ政府はカンゼなどカムパの地区にあった。政府の宣言が向けられているのはチベット本土の政治的、宗教的な権力ではない。

「すべてのチベットの土地は永遠にプゥパが管理する。漢族の侵略者、国民党の役人や軍閥が1000年以上にわたってプゥパに実行してきた併合政策に命がけで反対し、プゥパの独立と解放のために最後まで断固戦うことを誓う!」「私たちの旗印はプゥパ独立で、当面の任務は興蕃滅蒋(チベットを復興し、蒋介石を滅ぼす)だ」。


■政府樹立の手助けは、紅軍の便宜的な行動


ある評論は共産党の民族政策について70年以上の歴史を振り返り、当初は「民族自決」や「民族独立」までも支持していたが、今では「民族分裂」に反対していると総括する。プゥパ政府成立に関するいわゆる手助けは、逃亡中の紅軍にすれば一種の便宜的な行動であり、「チベット人民との『厳かな約束』」などではない。実際、通過先が漢人地区なのかチベット人や他民族の地区なのかを問わず、1万2500キロの長征は道中で空手形を連発し、嘘偽りなどのあらゆる悪事を尽くしている。

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■毛沢東はあくまでチベットを「外」と認識していた

紅軍がチベット人による「興蕃滅蒋」の独立政権樹立を助けたのは見返りを求めてのことだ。共産党の公式文書によると、紅軍がンガバ地区を通過した16カ月前後にわたり、ゴロドシャ政府は食料5000トン、牛や羊、馬、豚などの家畜約20万頭を支援した。カム北部を通過した時には、プゥパ政府は食料2250トンを提供した。

紅軍が延安に落ち着いた後、毛沢東は米国人ジャーナリストのエドガー・スノーに「紅軍唯一の対外債務は、異民族の食料をもらったままにしていることだ。いつか私たちは借りを返さなければいけない」と語った。「対外債務」とは何か?外国に借りがあるという意味ではないのか?毛沢東が当時、チベットを中国の一部分とは考えていなかったことが分かる。


■プゥパ政府建立の指導者「ゲタク・リンポチェ」の悲劇


カンゼにあるベェリ・ゴンパのゲタク・リンポチェは、チベット人エリートの夏格刀登(シャプカル・トプデン又はシャプカル・トゥプテン)、邦達多吉(།ワンダル・ドルジェ又はペルデン・ドルジェ)、恭布沢仁(ゴンポ・ツェリン)、扎喜旺徐(タシ・ワンチュク)らとプゥパ政府を建てた指導者だ。

「民族が独り立ちしてプゥパ政府を建て、プゥパが政権を握る」「紅軍のほか、プゥパ独立に賛同する全ての団体、個人と力を合わせる」という内容の綱領をともに制定している。「プゥパ独立に協力する国家や民族、政府、軍隊は全てプゥパの友人」だと確信し、簡単に信じてしまったため、最終的には歴史の皮肉に遭った。

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ゲタク・リンポチェらを公正に評価するとすれば、彼らはチベット人の民族主義者であり、共産党によって繰り返し利用され、描かれているような「祖国統一を追求した赤い活仏」ではないことを認める必要がある。

紅軍が解放軍に変わるまでゲタク・リンポチェが生きていたなら、チベットで最初の共産党員プンツォク・ワンギャルの運命と同じように、間違いなく監獄につながれていただろう。しかし、解放軍がチャムド戦役を発動しようとしていた頃に彼は急死し、共産党が当時の「厳かな約束」を守らない、または忘れ去るうってつけの理由となった。

2011年9月28日 ラサにて
(RFA特約評論)

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*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


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