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「ひげ」を描き加えられた法王の壁画=失われた自由の街ラサ―チベット(tonbani)

2011年12月23日

■ウーセル・ブログ「ラサ?ラサ!」■

*当記事は2011年12月20日付ブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


ラサの厳戒態勢は益々強まる気配はあっても弱まる気配はない。2011年11月19日、ツイッターでラサの1人のチベット人は「今、ジョカンの前に2000人ほどの武装した軍隊と警官隊が整列している。チベット人を怖れさせるためだ。私は寺の前で思わず涙が溢れてしまった」と書いた。(TIBET TIMES

最近亡命したチベット人の話によれば、「今、ラサにカムやアムドから巡礼に来たチベット人が次々に拘束され、ラサ近郊のラクツェル・グンタンの刑務所に送っている。すでに50人が捕まった」という。


■異常な厳戒態勢がしかれるラサ

ラサはチベット全土の中でももっとも厳しい厳戒態勢が敷かれている場所だ。町には武装した軍人や警官が溢れている。ウーセルさんは10月22日のブログでチベット人たちがこのような厳しい環境のラサを捨て成都等に移動しつつあるという悲しい話を書かれている。当局はラサを完全に中国人の町にすることを目論んでいるかのようだ。

写真は全てウーセルさんのブログより。写真の説明は3枚目まで:セラ僧院の壁画に描かれた尊者ダライ・ラマ。工作グループの求めにより、信徒や旅行者にダライ・ラマだと気付かれないよう、ひげを描き加えられた。しかし、このお年寄りはダライ・ラマの壁画だと知っており、警察が監視していたが深々と拝んでいた……。2010年3月30日、ウーセル写す。4枚目:2011年10月9日、ラサでウーセル写す

『ラサ?ラサ!』
文:ウーセル 翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん


20111223_ラサ_1

■磁石のようにチベット人を引き寄せる自由な街

改革開放の時代、ラサはチベット人エリートの誰もが憧れる場所だった。大学卒業後、北京や上海などの大都市に残れるにもかかわらず、にぎやかさとは程遠かった当時のラサで働き、暮らすことを選んだ若いチベット人を何人も知っている。私が1990年の春にカムから生まれ故郷のラサに戻ると、チベット文学芸術界連合会の同僚にもアムドのチベット人がいた。

その頃のラサは磁石のように各地のチベット人を引き寄せた。アムドとカムの商人は次々とラサにやって来たし、僧侶もラサを巡礼し、伝統に則って3大僧院で修行した。ラサは各地のチベット人に中心地と見なされ、家を買って定住し、戸籍を取りたいと思われていた。当時も様々な問題はあり、鎮圧に遭った抗議運動が3年続けて起こっていたが、今に比べればまだ多くの居場所と可能性があり、相対的に見れば自由でゆとりのある街だった。


■変わり果てたラサ


今は違う。ラサ人に嫁いだ娘を訪ねたカムのある父母は、娘が銃口の下の都市に暮らしていたため、別れ際に深く悲しんだ。街頭には兵士があふれ、仏法僧は冒涜され、聖地だったラサは人々が無意味に過ごし、堕落するだけの汚れた暴虐の地に変わった。

20111223_ラサ_2

ラサ市民ではない僧侶がラサに行くには証明書が必要で、持っていなければ街道の検問所を通過できない。各地のリンポチェたちもラサを避け、漢人の土地に行くようになった。ラサの地元僧侶は注意深く振る舞い、街に出る時はなるべく私服を着る。ジョカンを中心とする旧市街では、銃を持った特殊警察が袈裟の僧侶や民族衣装の青年を好き勝手に遮って尋問し、名前を記録する。

ラサに住むリンポチェたちは参篭するかのように出来る限り外出しない。チベット人同士であってもお互いに注意が必要で、親戚にも腹を割って話そうとはせず、誰かが警察のスパイか密告者だろうと恐れている。外国人はかつてないほど減っている。旅行者は多くの制限を受け、大多数の外国の基金やNGOは追放された。

20111223_ラサ_3

チベット人の企業家たちは事業を縮小したり、他省のチベット地域や中国の都市に移ったりしている。たとえ漢人地域の気候や言葉、暮らしに適応できないとしても、少なくとも恐怖感は減らすことができるからだ。2008年以降、多くのチベット人の成功者が刑罰を受けて牢獄に入り、チベットの商人や企業家はみな恐怖心を抱いている。

明日のことは誰にも分からず、何十年も頑張って貯めた財産がでっち上げの罪名によって一夜で消えるかもしれない。ある企業家は仏教の無常思想を使って話した。「人間はアリのように少しずつ運び、蓄える。ようやく蓄えた財産は熊の腕の一振りで台無しになる。自分の財産だけではない。民族が数百年、数千年をかけて積み上げてきた財産も、共産党が来てすっかり無くなったではないか!」

20111223_ラサ_4


■失われたかつての求心力

ほかの土地に比べて各方面で大きな困難があるため、ラサの求心力は弱まりつつあるようだ。例えば大多数のチベット人にとって、パスポート取得は夢のように難しい話になっている。聖山カン・リンポチェを巡礼するにしても、辺境通行証の手続きは容易ではない。

ラサでは少なからぬマンションや住宅が建てられたが、入居者がいないまま放置されている例も多い。以前はアムドやカムのチベット人がラサで家を買ったが、現在ではラサなどウーツァンのチベット人は成都で家を買う。成都で家を買ったチベット人は20万人いると言われている。彼らの一部は元々ラサに不動産を持っていたようだが、恐怖の影の下で暮らすのを拒んだという。

もちろん、ほかの省もチベット人を弾圧しているが、ラサに比べればまだ規制は緩い。それは小さな事柄からも分かる。7月末から8月初めにかけて青海省や四川省のチベット地区を訪ねた時、僧院や一般家庭で堂々とダライ・ラマの写真を飾っているのを見た。

取り締まる能力も無く、より大きな反抗をひき起こすのを恐れているため、地元政府はかつての厳禁から見て見ぬふりへと態度を変えている。しかし、こうした妥協はラサでは見られない。一部の僧院の壁画に尊者ダライ・ラマの姿が描かれていたが、工作グループの要求でひげを描き加えられた。信徒や旅行者にダライ・ラマだと気付かせないようにするためだ。

2011年10月13日 ラサにて
(RFA特約評論)

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2011年12月20日のラサ、ジョカン前。「大昭寺燃灯。人山人海。特警也多。公安也多。警察也多。百姓更多。」とのこと。

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ウーセルさんがツイッターに上げられた写真。ガンデン・ンガムチュ(ジェ・ツォンカパ命日、灯明祭/万灯会)、ジョカン前。

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*当記事は2011年12月20日付ブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。


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