■ロシアの工場はのんびり!■*本記事はブログ「ロシア駐在日記」の2012年2月4日付記事を許可を得て転載したものです。
■ポッキーのように折れるボルト週末なのに今日は仕事の話です。
日本から部品を持ってくると運送費や関税などでどうしても高くなってしまうから、徐々にロシアでの購入に切り替えたい。ロシア国内にある外資系メーカーならどこも同じ課題を抱えています。しかし、現地調達はハードルが高い。
私たちの会社もある部品を日本から持ってくるのをやめて、「現地調達」に変えました。しかし、届いた最初のロットは悲惨でした。ボルトを締めようとすると、女性の力ででも「ポッキー」のように次から次へと折れていきました。大急ぎで全点数選別することになり、日本人の上司たちも現場に駆けつけました。
ボルトを次から次へと確認していくロシア人の女性作業者。ボルトが折れるたびに「チェっ」と言いながら淡々と語ります。
なんで日本から買わなくなったの?ロシアで買ってたらこれからこんなのばっかりですよ。このボルトが丈夫になったら、今度は違うところで不良が出るんですよ。それか「材料がなかったから作れなかったんだ~」といきなり言ってくるよ。
私はこの会社に来るまでずっとロシアの工場で働いてきたから、よ~く知ってますよ。物が自分の手から離れれば後はどうでもいい。ここはそういう世界だよ。
彼女の「予言」はある意味、的中しました。あの後ボルト以外の不良も出ているし、「材料がない」と言われ大騒ぎになったこともあります。しかし、数ヶ月経った今は状況が落ち着いてきました。ただ日本からものが届いていた頃は受け入れ検査はほとんど形だけのものだったけれども、今は非常に神経を使っていることは事実です。
■ネジ切りマシーンは二次大戦の「戦利品」
この前、私もその部品メーカーのところに行ってきました。気温-24℃の日に300キロの距離を車で移動し、寒かった!!!行った先はニジニ・ノヴゴロドよりもずっと田舎だからか、人たちはみんなとてもフレンドリーでおっとりしていました。
ソ連のときからある大きな工場で従業員は2500人以上。近代化を進めているようだけれども、まだまだ古い機械がたくさん残っています。私たちのボルトのネジ切りをする機械は何と1930年代に造られたもので、第二次世界大戦の後ドイツから持ってこられた「戦利品」だそうです。長年がんばってくれてるな~と見てて感心しました。
不良については、やはり日本人とは意識が大きく違うようです。「不良は出るもんだ」という感覚で、日本人のようにいちいち大騒ぎになることはまずない。「原因をつきとめましたか」と聞くと、質問には直接答えずに「材料を調べて、次に~調べて…」と経過を述べているだけでした。
■のんびりしたおばちゃんたち
どこの工程に行ってもおばちゃん従業員が大勢たむろしていて、全体的にとてものんびりしたペースです。材料の受け入れでは、私たちに対応してくれたおばちゃんの机の半分が大きな植木鉢で占められていたのがとても印象的でした。
ボルトの洗浄のところに、体の小さいおばあちゃんはほおづえをして座っていました。ボルトが来ると洗浄装置のボタンを押したりするのが仕事のようですけれども、ボルトがなければこうして静かに待っているようです。