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チベット人僧侶が語った焼身抗議と弾圧=キルティ僧院でなにがあったのか?(上)(tonbani)

2012年03月24日

■2011年3月16日、ンガバのキルティ僧院で何があったのか(上)■

*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2012年3月19日付記事を、許可を得て転載したものです。



Tibetan Monks
Tibetan Monks / watchsmart

■キルティ僧院で何があったのか
チベット人僧侶が語った焼身抗議と弾圧=キルティ僧院でなにがあったのか?(上)
焼身抗議と軍の包囲、そして信者たちの懇願=キルティ僧院でなにがあったのか?(中)
一カ月にわたる拘束と尋問、そして暴力=キルティ僧院でなにがあったのか?(下)(tonbani)


■はじめに


今回ご紹介する記事「「彼らは私たちが武力鎮圧を怖れると思っているが、それは考え違いだ」――キルティ寺院僧侶インタビュー、プンツォの焼身から1年によせて」は、2011年3月16日に2人目の焼身抗議者となったロプサン・プンツォとキルティ僧院の状況について、チベット人僧侶が語ったインタビュー記録である。インタビューは2011年12月にアムド地方(主に青海省に相当)で行われた。

ダラムサラ情報局のサンゲ・キャップが中国語に翻訳したものを底本とし、@uralungtaが翻訳、解説を担当している。長文のため、3回に分けての掲載となる。


■インタビュー前編

「彼らは私たちが武力鎮圧を怖れると思っているが、それは考え違いだ」――キルティ寺院僧侶インタビュー、プンツォの焼身から1年によせて
“他们认为我们害怕武力镇压,他们想错了”――与格尔登寺僧人的访谈,纪念平措自焚一周年」新世紀、2012年3月15日

2011年3月16日にチベット本土で2人目の焼身をはかったロプサン・プンツォ。その時ンガバのキルティ寺院で何が起きていたかを、チベット人からチベット人が聞きとり、チベット語で書かれたレポートを、チベット人が中国語訳した文章からの重訳です。

なので、これまで報じられてきた、主に欧米の記者による取材レポートには出てこないもの――冗長なあいさつや長い前置き、世界を抽象的に置き換える回りくどい心情吐露――や、事実関係の前後がよく分からない部分もあります。通常の翻訳紹介なら割愛されてしまうだろう部分なのですが、そこにこそチベットらしさを感じられて、割愛せずに訳出しました。チベットに興味がない人にはどこが面白いのか分からないぐだぐだであろうと思うので、興味ある人だけ読んでいただければと思います。

原文のカッコ書きはカッコ()で訳出、訳者補足はきっこうカッコ〔〕としました。中国語の地名は漢字表記のままとし、チベット語をカタカナにしています。

2011年12月1日から15日まで、ンガバのキルティ寺院(四川省阿壩州阿壩県のキルティ寺院、以下キルティ寺院と記す)の本山タクツァン・ラモ寺院(ゾルゲ:四川省阿壩州若爾盖県に位置する)で冬季哲学弁論大会〔ジャヤングンツォ〕が開かれ、キルティ寺院からの僧侶も数多く参加した。

以下のインタビューの人物名は、お考えになれば分かる通りの原因で実名を公開することに支障があるため、すべて仮名で代用する。アンサーは記録者で、チベット内のチベット人作家である。インタビューに応え話しているのはすべてキルティ寺院の僧侶で、チベット文字のあいうえおを取って仮名とし、オーサーカワ〔カさん〕、オーサーッカワ〔ッカさん〕、オーサーガワ〔ガさん〕、オーサーンガワ〔ンガさん〕と表記する。

仮名は、ཀ・ཁ・ག・ངに「~人」のཔをつけたチベット語と思われ、チベットらしい書き方にしたんだなあと非常に好ましく思うのですけど、えーとその、日本語だと全部『か』のバリエーションになっちゃって異様にややこしいので、ほんと申し訳ないのですが、以下の訳出ではABCDの記号で代えさせていただきます。
母語尊重活動に敬意を表しつつ、言語の壁は厚く……申し訳ない。あと、原文の匿名は、アンサーが「Answer(回答者)」の音写したもの、オーサーは「Author(作者)」を音写したものだと思うんですが、これだと質問する作家がanswer、回答する僧侶がauthorで逆になっちゃってて、そこは筆者の単純な取り違えだろうなと思い、僭越ながら反対に(本来の「作者」と「回答者」に合うように)させていただきました。

アンサーA:お目にかかれてうれしいです。あなたの書かれた本は以前から読んでいて、私たちはよくあなたのことを話題にしていました。ようこそいらっしゃいました。

オーサー:ありがとう。今年〔2011年〕ンガバのキルティ寺院の僧侶の方々が受けて来られた、耐え忍びがたい苦しみと暴虐に、深い同情と慰めを申し上げます。私や多くのチベット人は心の底からキルティ寺院の僧侶の方々を尊敬し、忘れた事はありません。私たちは苦楽を共にしています。

アンサーB:私たちの生活はまさに暴虐の中にあり、実にがまんできないほどの状態です。しかし、今日ここで貴方に打ち明けることができて、私たちは心の底からなぐさめを得られるように感じています。

アンサーC:そうなのです。現在、私たちキルティ寺院のたくさんの英雄が、チベットの政治宗教事業のために自らの生命を抵当に入れてこの世を去り、私たちは心と精神が苦痛と辛酸に満ちた状態でこの世に残されました。この苦しみを広く世界の方々に訴えて聞いていただくことを望んで、長い時間を待ちわびていたのです。

外界のいくつかの公正なニュースメディアには報じられましたが、自分自身の言葉で直接この苦痛を訴えたいと強く願っていたのです。なぜなら、心の底に深く埋め込まれてあまりに長かった……この心の中の痛みを、他の方にお話しすることで、同じ苦しみをわかちあっていただいて、ようやく呼吸をして生きていける感覚を得られるように思うのです。

私たちは今キルティ寺院から本山のタクツァン・ラモ寺院に来て冬季仏教哲学論理学弁論大会に参加していますが、私たち僧侶の後ろには、1人につき1人ずつの漢人幹部または兵士の監視がついていて、私たちの電話もすべて中国に盗聴されています。昨日、私がちょうどここに着いたタイミングで1本の電話が鳴り、私に「どこにいる?」と尋ねてきました。私は「タクツァン・ラモ寺院の冬季仏教哲学論理学弁論大会に参加しています、そのように〔前もって〕報告している通りです」と答えました。実際のところ、彼らは私がどこにいるかを非常に細かく把握しています。にもかかわらず、彼らは常に私たちの動向や行為を疑い、試しているのです。

公表するにはどうでもいいように思える挨拶と社交辞令のやりとりですが、インタビューに訪れたチベット人取材者がチベット人たちのあいだで名の知られた作家で、初対面ですがお互いに深い信頼関係があることが分かります。思いを共有する立場で話を聞きに来た、というくだりにちょっとじんとしてしまいました。外国人にはそんなこと言えないし、取材する立場だったらなおさら「公平な立場で双方の言い分を聴いて真実を明らかにしたい」とかなんとか言ってしまうものでしょう。

チベットのチベット人のなかにもいろんな立場や意見の人たちがいて、一人一人違う生活があって、立ち上がる人、国外に出ることを夢見る人、事業や職業でチベットの役に立とうと思う人、進んで共産党の中に入っていって党内でチベットのためのくさびになろうと思う人、心を痛めつつ個人の生活を守らなければならない人、とにかくそれぞれがそれぞれの生き方をしていると思うのですが、この作家の方が、チベット人としてチベットで起きたことを「記録する」という行為を志して、実行して、成功した――書かれた記録と人々の声が「外」に伝わった――のは本当にすごいことです。

勇気が必要で、準備と実行力も必要です。チベットの中からチベット人自身が声を伝えてくれることに、敬意と感謝を伝えたいです。

アンサーD:本心を言うと、今日私は心からうれしく感じています。チベットの幸福を担う方の1人と話し合うことができることに深く慰められ、やすらぐ思いです。元々の計画では、私たちキルティ寺院からは1000人の僧侶が冬季仏教哲学論理学弁論大会に参加するはずでした。しかし、中国政府が私たちをこのように厳しい監視と弾圧下に置き、騒ぎ立て〔たとして〕鎮圧する状況のもとで、弁論大会に参加するよりも行かないほうがましだろうと多くの僧侶が判断させられたために、来ていないのです。

現在、私たちキルティ寺院の僧侶と寺院周辺の状況は危急かつ極限の状態にあります。焼身をはかった僧侶の僧坊には〔共産党〕幹部が常駐し、襲撃を防ぐためとして、すべてのドアと窓には鉄条網が設置されました。私たちと中国当局幹部との関係は日に日に緊張が増していて、関係が改善したり信頼が生まれる兆しは髪の毛1本ほどもありません。彼らは私たちが武力鎮圧を怖れていると思っていますが、それはまったくの考え違いです。

中国政府は2008年から今に至るまでなお武力を使って押さえつけていますが、さらに多くの武器銃火器を使ったところで、それはただ私たちの勇気と自信、ひいては中国政府に対する憎しみと恨みをいっそう増幅させるだけで、抵抗をあきらめようとかやめようと考える人など絶対に誰一人としていないのです。これは中国政府の最大の錯誤であり、〔私たちを〕理解していないうえ、特有の政策も変えようとしません。

私たちに対してよい〔行動を示す〕なら、私たちだって人間です。しかし、私たちに対して〔武力〕鎮圧を実施するなら、私たちだって人間ですから、立ち向かいます。もし、政府が私たちに対してなんら進歩的で見識のある政策を行わず、軍隊がキルティ寺院から撤収しないなら、抵抗する動きも絶対にとどまることはありません。私たちキルティ寺院の若い世代の僧侶から、中国に対する敵対的な感情が消えたことなどないのです。子どもの僧侶たちなどは、いたずらごっこをするときでさえ、皆、反抗したり焼身をするまねをするほどなのです。

過去、キルティ寺院は宗教活動を6カ月禁じられる処分を受けました。その後、中国当局幹部は、宗教活動を開放させると述べ、会議で演説を発表しました。その際、中国幹部はキルティ寺院のゲシェ(仏教学博士)・ゾツァン・ツォンドゥに対し発言するよう再三にわたって求めたため、ゲシェはそこでこのように話しました。

「私は演説はしないと話した通りだが、それでも私に話すよう強く求めるなら、少しだけ話しましょう。最近、たくさんの英雄の息子、娘が衆生のため自らを焼身することに対して、少数の何も分かっていない白痴や権力の犬どもが、『焼身をはかる僧侶や尼僧は戒律を破っている』『彼ら焼身者は破戒僧である』などと言っている。このような論説はまったくの無知である。焼身をはかった者は戒を破ってなどおらず、どの律部の経典――『広戒経』『雑事品』『百業経』など――にも一つとして背いていない。これこそが事実だ。仏の子たる菩薩伝のなかには、他人のため自己の生命を犠牲にするというたくさんの逸話がある。だから、彼ら〔焼身をはかった僧侶尼僧ら〕が戒律を破ったなどと言えるわけはないのだ」。

しかし会議終了後、ゲシェは中国人に連れ去られました。その後、200人以上の弟子がンガバの町中心部に向かい、中国人に対して、もし午後6時までにゲシェ・ソツァン・ツォンドゥ師を釈放しなければ、我々全員が焼身をはかる、と警告したのです。その日午後、ゲシェ・ゾツァン・ツォンドゥ師は釈放されることができました。もしその日、ゲシェ・ゾツァン・ツォンドゥ師が釈放されなかったとしたら、私たちは必ずや全員が一緒に焼身をはかっていたことでしょう。いま思い返しても実にまったく誇りに思います!私たちの仲間は、これほどまでに一致団結しているのです!


■上編訳者コメント

読んでいて悲しくなる独白です。語った人、語られた状況、公表の経緯(チベット人の手を伝ってチベット人により翻訳された)からみても、まごうかたなきチベット人の本音であり、本心の吐露だと分かります。胸を打たれます。でもそこに出口は見えません。
 
単純なチベット支援者なら、さもあろう、と燃え続ける抵抗の炎に共感し、拳を握り、いいぞもっとやれ、と勢いづくかもしれません。

それ以上に悲しい気持ちになるのは、こうしたチベット人の堅い心が輝けば輝くほど、占領者・征服者の立場(中国当局)からは「まつろわぬ者」として、より一層、弾圧と蹂躙と征服の対象になるんだろうな、という構図が見えてしまうからです。

過去から現在に至るまで、中国当局は常にチベット仏教寺院を敵視し、破壊し、解体しようとし続けてきていて、チベット人はそれに抵抗し続けてきているのですが、その中国当局の狙いはある意味では当たっていて、当局にとってチベット仏教寺院は今や、反政府勢力のアジトとか抗議活動者養成所みたいなものにしか感じられなくなっているのかもしれません。(そもそも宗教や信仰心への敬意がないのですから。)

このようなチベット人の真実の告白を中国当局が目にしたとして、当局はこれまで彼らの誇りを踏みにじり傷つけてきた行為を自覚して反省するどころか、「より厳しく取り締まって封じ込めるべき危険分子だ」と認識するだけでしょう。こうして僧侶に対する敵視と監視と弾圧が強まり、逆にまたそのことによってチベット人がいっそう団結し、抵抗し、チベット人としての自覚をますます強めていく、という、出口のない悪循環がありありと伝わります。

とにかく、これだけでもンガバの置かれている全体図は見えてくるのですが、実際にはまだまったく本題に入っていません(笑)。とりあえず、続きます。

中編はこちら。


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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2012年3月19日付記事を、許可を得て転載したものです。 

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