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「チベットには自由がない。亡命しても自由がない」焼身未遂の若者の言葉を聞いた=チベット蜂起記念日のダラムサラにて(tonbani)

2013年03月12日

■第54回チベット蜂起記念日:ダラムサラ■
 


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1959年3月10日、ラサ、ノルブリンカ前に集まった群衆(Tibet Museum 資料)

2013年3月11日はチベット人にとって一年で一番重要な政治的行事が行われた日であった。54年前の3月10日、ラサのノルブリンカ前には数万人のチベット人が集まり、それぞれ自らの命よりも大事なダライ・ラマ14世を中国の手に落ちることから守ろうとした。これが所謂「1959年チベット蜂起」である。これに対しラサに侵攻していた中国軍は無差別砲撃をおこない、その日から数週間に渡り行われた戦闘により数万人のチベット人の命が奪われた。

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センゲ首相は声明を発表したが、その冒頭で「今日、我々は献身的な先輩たちの勇敢な闘争に対し再度敬意を示すためにここに集まっている。チベットのために命を捧げたすべての人々へ賛辞を贈る。先輩たちが自由を得るために1959年3月10日に立ち上がったという歴史は、現在我々が行っている基本的自由、尊厳、アイデンティティーを求める闘いを導くかがり火である」と述べた。

今年から、この日は「蜂起記念日」のみならず「愛国犠牲者の日」でもあるとされ、これまでに自由チベットのために焼身などで命を落とした全てのチベット人へ哀悼の意を示す日とされた。

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式典は、チベット国家斉唱、犠牲者へ捧げる黙祷、センゲ首相による国旗掲揚と続いた。

今回、何が特徴的だったかと言えば、ダライ・ラマ法王が出席されていなかったということだ。法王は政治的権限の全てを首相に移譲された後、去年のこの式典の時には出席し座られていたが、一言もスピーチされなかった。そして、今年はいよいよ出席もされていない。非常に象徴的であった。これについてメディアの友人に「これは法王の意図的なやり方なのか?」と聞くと、「もちろんそうだろう。去年はお座りになってただけ。今年は不在。つまり徐々に法王が本当にいなくなった時の準備をさせるためなのだ」とコメント。

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ことしからこの日は「愛国犠牲者の日」でもあるということで、大きなタンカが犠牲者に捧げられるために製作され、この日ご開帳された。

先の続きで、あるお年寄りに法王不在について尋ねる。「空っぽな気がして寂しいね。こんな3月10日は初めてだ。焼身者は沢山だし、法王も来られないしで、悲しいよ」と。他のお年寄りは「いいんじゃないか。法王はもう政治を引退されたのだし、センゲ首相がよくやってるからね。法王がいらっしゃらなくても同じように人は大勢集まってるじゅないか」と。

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この日のスピーカーは2人、まず議会副議長が議会を代表して声明を読み上げた。その中でチベット亡命議会が中国の新リーダーに要求する4項目というのがあった。それを以下に訳す。

1、中国・チベット間の争いは解決すべきであり、また解決できる問題だということを受け入れ、相互に利益ある中道のアプローチに基づいた平和的交渉を直ちに始めるべきである。

2、今日のチベットの危機的状況一般と、特に貴重なチベット人の命が焼身抗議により失われている現状に鑑み、中国は事実から真実を求めるという態度と公平という原則に則り、現状を調査すべきである。同時に、国際メディア、各国政府、NGOがチベット内地を訪問することを許可すべきである。

3、中国政府はチベットで現在行われている強硬な、暴力、弾圧政策を変更すべきである。そうしないならば、チベット人たちの政府に対する敵愾心は間違いなく増幅されるであろう。中国はチベット人に対する暴力的、弾圧政策を即刻中止すべきである。

4、現在のチベットの非常に危険な状況の重大性を明確に理解した上で、中国政府はチベット人の人権、宗教と文化、言語、自然環境を保護すべきである。チベット人に対する民族差別、暴力的弾圧、拷問その他の残酷な扱いを止めるべきである。また、パンチェン・ラマを始めとする全てのチベット人政治犯を解放すべきである。

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政府声明を発表するセンゲ首相。

首相声明の一部を以下に訳す。

チベット人が(中国の不正や弾圧に)少しでも批判の意を表せば、彼らは当局により長期の刑、拷問、誹謗、失踪の対象となる。平和的抗議と厳しい刑罰がチベット人をして焼身に走らせる。彼らは沈黙と服従より死を選ぶのだ。昨今、当局は焼身を犯罪化し、彼らの家族、友人を見せかけの裁判により罰しているが、このようなやり方は焼身、迫害、さらなる焼身というサイクルを長引かせるだけであろう。

様々なメディアを通じ、カシャク(内閣)は常にチベット内のチベット人に対し抗議の形態としての焼身を思いとどまるよう訴え続けて来た。命は貴重であり、人として我々は誰かがそのような方法で死ぬことを望まない。仏教徒として我々は死者に対し祈りを捧げる。チベット人として、チベット内のチベット人の願望である『偉大なるダライ・ラマ14世のチベット帰還、チベット人の自由、チベット人の団結』を支持することは我々の神聖な義務である。

この残酷で深刻な状況を終わらせる唯一の方法は、中国がチベット人の願望を尊重し今の強硬路線を変更することである

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式典が終わり、退場する道すがらTCVの子供たちと握手するセンゲ首相。

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写真中央はこれからチベットのラサまで平和行進を行うというツェテン・ドルジェ氏。右隣は去年ネパール国境まで一緒に歩いた母親。彼は去年3月10日にもダラムサラを起点として、ラサまでの平和行進を行おうとした。去年は母親とTCVの生徒である姪が一緒だった。彼はデリー経由でネパールまで行進した。しかし、ネパール内に入ったところでネパール警察に拘束され、その後5年の刑期を受けた。様々な団体がネパール政府に対し彼の解放を要求した結果、彼は8ヶ月後に解放された。そして、彼はまた今年は1人で再びこの帰還行進にチャレンジするという。もっとも、今年はネパール・中国国境を目指さず、インド・中国国境を目指すと思われている。
式典の後は恒例の下ダラムサラまでのデモ行進が始まる。

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今年の特徴はもちろん、去年の記念日から1年間の間に90人程が焼身したといういうことだ。焼身者の写真が印刷された長いバナーが運ばれた。また、これまではこのデモは政府主催であったが、ことしからチベット青年会議を始めとする5大NGOが主催することになった。

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収監33年のパルデン・ギャンツォさんも元気に先頭を切って歩かれていた。私に気付き、笑顔で挨拶して下さった。

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毎年、一番元気がいいのは若い僧侶たち。

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尼僧たちも負けていない。

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焼身を表す炎を顔に描き、声を張り上げる若者だち。

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「107人」あと何人の命が……。

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下ダラムサラの集会場に集まったデモ参加者たち。今日の上ダラムサラ(標高1800m)は、朝方雷もなり、小雨も降り、式典の間中強い冷たい風が吹き荒れ、相当寒かった。しかし、下ダラムサラ(標高1200m)まで下りると空は晴れ、強い日差しとなり、とても暑くなった。参加者は約3000人ほどか。

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集まって、まず壇上で締めの強烈シャウティングを先導する3人の僧侶たち。NGO主催ということもあって「チベットに完全独立を!」というスローガンも叫ばれた。

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焼身者のバナーを前に、シャウティングに答応する参加者たち。

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この強烈な集会を黙って見守る習近平。

この日、世界30カ国で同様のイベントが行われた。特に大きな集会が開かれたのはベルギーとアメリカ、カナダである。ベルギーのブルッセルには亡命議会議長、亡命政府の情報・外務大臣、キルティ・リンポチェが出席し、ヨーロッパ中から約5000人のチベット人や支援者が集まったという。アメリカではニューヨークの国連前に約3000人が集まり、国連の介入を求めた。カナダのトロントでも3000人が集まった。東京でも亡命政府の保健大臣をゲストとし、約120人がデモ行進と集会を行った。

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その後、足蹴にされる習近平の首。

今年の特徴は海外に住む中国人の民主活動家がこのチベット人の自由を求めるイベントに大勢参加したことであるらしい。

ダラムサラにも台湾その他から民主活動家の中国人が何人かゲストとして参加していた。もっとも、例年なら法王謁見を兼ね、この時期にダラムサラに来て式典に参加するという外人議員の姿が多く見かけられたものだが、今年は法王がダラムサラにいらっしゃらないというので、ハイレベルのゲストは少なかったようである。

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壇上で披露される、グチュスン(9-10-3の会)のお家芸。デモを行ったチベット人たちが中国の警察にめった打ちされ倒れるという一幕。

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倒れたデモ実行者を前にタムディン・アートがチベットの自由を求めるヘヴィメタルロックを熱唱する。

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と、これで集会も終わりというころに、メディア仲間の間に大変なニュースが広まった。「誰かこの会場近くで焼身を図ったようだ」という。「火は点かなかったのか?誰だ?名前は?今、どこにいる?誰か写真を撮ったのか?」とちょっとした騒ぎとなった。

現場にいた警官にも聞き、目撃者を探し出し話を聞いた。名前はダワ・ドゥンドゥップ、年齢30歳ということが分かった。私と友人のAP記者は彼が収容されているという病院にバイクを走らせた。

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写真はTibet Timesに載っていた、ダワが焼身を行おうと、灯油を被り火を点けようとしたが、傍にいたチベット人たちがこれに気付き、すぐに灯油とライターを取り上げ、保護したというシーン。「もう数秒遅れていたら火が点けられていただろう」と目撃者は語った。ダワは「死なせてくれ!」と泣きながら訴えたという。

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病院に着くと、ダワは緊急患者入口の傍のベンチに警官に付き添われ、座っていた。彼は我々に続いて来たVOTのインタビューに答え始めた。彼はこの日に焼身することをかなり前から決心し、遺書も残したという。焼身が未遂に終わった事を悔しがり、涙を浮かべながら「チベットには自由がない。インドに亡命しても自由がない。ダライ・ラマ法王がチベットに帰還できるよう、何かどうしても行動しなければならないと思った」等と話した。

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灯油を身体にかけただけでなく、飲んだということで、病院で検査を受けた。

ダワ・ドゥンドゥップはラサ近郊の出身。2001年にインドに亡命した後、ソガスクールで数年学んだ。最近はマクロードガンジの路上でツァンパを売って生計を立てていた。焼身の絵を描かれている井早智代さんは彼と親交があったという。

以下は彼女の話。

彼の両親は早くに亡くなっているときいた。今は身寄りのない92歳の老人と同居し、老人の世話をしている。とても優しい人で、いつもみんなに気を使い、何かと世話をやいてくれる。焼身者のことを悲しんでいたが、彼がそのような大それたことをするような人とは思ってもいなかった。

ダラムサラで焼身未遂が起ったのはこれが初めてである。他これまでに、デリーで2人、南インドで1人、ネパールで1人が焼身未遂している。何れの場合も回りにいた人がそれに気付き止めている。

本土チベットではこの日カンゼ州セルシュ県ザチュカで3人の僧侶が法王の写真も張られた横断幕を掲げ、平和的デモを行った。まもなくして彼ら3人は警官に逮捕された。その時警官を阻止しようとした2人のチベット人も同じく逮捕されたという。 

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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2013年3月11日付記事を許可を得て転載したものです。

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