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中国がインドに“侵攻”って本当?中印実効支配線の歴史と現状を整理する(犬大将)

2013年04月29日

■インドと中国の国境騒ぎはどこで起きているのか?■


インド「中国が侵攻」=カシミールめぐり対立
時事ドットコム、2013年4月24日

インドの報道によれば、カシミール地方のうち中国と国境を接するラダック地方で15日、中国軍が実効支配線より約10キロインド側に侵入し、テントを設営。数百メートル離れたインド軍と対峙(たいじ)する状況になった。テレビ各局は「中国の挑発」などとやや感情的に報道している。

2013年4月15日、中国の小部隊がインドの実行支配線を越えて侵入。野営陣地を築き居座りつづけていると報じられています。日本でも20日ごろより報道されていますが、どれもこれもインドのニュースをそのまま垂れながしているもので、実際にどこで起きている事件なのかがよくわからない。


■英国の“欲張った”国境線 

インドの報道では Daulat Beg Oldi の Burthe とされています。Daulat Beg Oldi はタリム盆地とインド平原を結ぶ交易ルート上にあり、すぐ北がカラコルム峠。Wikipediaの地図は以下の通り。

20130429_写真_中国_インド_1

カラコルム峠ですが、これが1892年、インドを領しているイギリスと清が公式に認めた双方の境目になります。分水嶺でありなおかつキャラバンの通る交易ルートなのでそこが選ばれたようです。

しかしカラコルム峠だけが決まり、その東西の国境については具体的には決まっていません。イギリスは何度か国境画定をもちかけますが、清は交渉に応じず国境は最後まで決まらないままでした。その間、イギリスの方ではわりと妥当な線を引いたり、欲張った線を引っぱったりしていました。その欲張った線を継承して独立したのがインドです。

欲張った線というのはアクサイチンを全部囲んだ線です。アクサイチンはチベット高原の西北の隅にある無人の荒野で、Daulat Beg Oldi はさらにその西北の隅になります。まー要するに、タリム盆地のヤルカンドから南のクンルン山脈をのぼりつめたところにあるのがアクサイチンの荒野。その隅で小川がながれているのが Daulat Beg Oldiで、川ぞいにカラコルム山脈を下っていくとラダックに至りカシミールに出て、果てはインド平原に下りるわけです。

ちなみに一番欲張った線ではカラコルム峠の北側もインドになりますがさすがにそこまでは主張できないようですね。


■中華人民共和国とインドの“国境”

中国共産党がチベットを占領してからインドと国境画定交渉を行おうとしますが、今度はインドがのってこない。実は中国、1950年代半ばにはアクサイチンの東部にタリム盆地とチベットを結ぶ道路を建設してしまってるんですね。インドもイギリス時代のアバウトな国境を勝手に解釈して国境警備所をつくったりして起こったのが1962年の中印国境紛争です。

アクサイチンの方にいたインド軍は、さっさと力の差を見極めて反撃できるところまで撤退したので傷は浅かったのですが、ブータンの東の方(マクマホンライン)のインド軍は杜撰な指揮でボロ負け、ヒマラヤ山脈の下まで追い落されてしまいました。人民解放軍は圧倒的に勝っている間にとっとと撤退、一方的に「実際支配線」(Line of Actual Control - Wikipedia)から20km兵を下げる事を宣言しインドにも下げるよう要求します。以後その線が中国とインドの事実上の国境となります。

ここで重要なのは、イギリス時代具体的な国境線について合意に至ったことがないように、「実際支配線」についても合意に至ったことは一度もないということです。

ちなみに兵を下げることについてもインドは従っていません。清がイギリスの言いなりになるのがイヤだったように、インドも中国の言いなりになるのがイヤだったんでしょうね。(ボロ負けしたブータンの東の方では展開しづらい地形ということもあり、山脈の麓まで下がっています)


■地図を眺めて見た

20130429_写真_中国_インド_2
( 米空軍地図(1967作成1995修正) http://www.lib.utexas.edu/maps/tpc/txu-pclmaps-oclc-22834566_g-7d.jpg をもとに作成)

そこでこの Daulat Beg Oldi を中心とした地図をみましょう。カラコルム峠から東に走っている点線がインド主張の国境になります。要するにアクサイチンの北の縁です。そしてカラコルム峠から南に走っている網かけ線がいわゆる「実際支配線」です。昔のキャラバンルートはカラコルム峠から南にDaulat Beg Oldi、Burtsa、Murgo、と下っていき、さらに川にでて川沿いに南下していきます。川を下っていくとラダックのレーに出ます。

さてこのどこで騒ぎになっているのか。一応比較のために 10kmのゲージを貼ってみたんですがこの網掛け線から西に10kmとなると相当奥になりますね。ニュースにでてくる地名の Burthe というのはこの地図の Burtsa のことかと一時おもったんですが、それだと山の中になってしまいます。

ただ、カラコルム峠と Daulat Beg Oldiの中間をみてください。なぜか不思議なことに網掛け線が道路を跨いでいますね。そしてその境目のDaulat Beg Oldi側からカラコルム峠はだいたい10kmあります。

米軍の他の地図でも、上記地図と同じように「実際支配線」を描いているので、なにか基づくものがあるんでしょう。ただインド側にしてみればカラコルム峠から南がインドであることは決まっているのに道を下ったらすぐ中国を通らねばいけない事になりなんかおかしい。最初はここの事かとおもったんですが、まぁわかりません。ただ、道路建設が邪魔されているとかいう報道もあるので可能性は高い。

ちなみに同じ地点をgoogle地図でみると、実効支配線が道路をまたいでいるということはありません。結構ズレてます。これだとどこが問題になってもおかしくないですね。


■インドの飛行場、道路建設が中国を刺激

地図のことはこれまでにして、ヒートアップする原因は他にもあります。それが Daulat Beg Oldi にあるインド軍の飛行場です。この飛行場は中印戦争の後、1966年地震で壊れて使われないままになっていたんですが、2008年に使用を再開しています。

インドによる道路建設とかいうのも、カラコルム峠を交易ルートとして復活させるという他に、軍用の意味もあるようですね。これも中国をいたく刺激しているようで、インドのミサイルや他の基地復活とあわせ、インドに中国への野心ありとさわいでいる向きもあるようです。

最後におおざっぱな歴史のお話。まぁこのへんは無人地帯なのでどこに属するも何もないのですが、大まかにいえばラダックの一部になります。そしてそのラダックはチベットの一部だったわけですが、19世紀にパンジャブのシク教国に飲み込まれその一諸侯になり、さらにシク教国がイギリスに組みこまれる過程でカシミール藩王国の一諸侯となります。そういうわけでラダックは小チベットとよばれることもあります。

チベットから切り離されたかわりに中国の支配からまぬがれ、チベットらしい文化が残っているところとして有名。しかし中国からすると、「チベットの一部だったんだから今は中国の一部」という中国的理屈がなりたちそうですね。

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*本記事はブログ「メモ@inudaisho」の2013年4月26日付記事を許可を得て転載したものです。

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