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マニ車と数珠を持った私服警官も、米大使訪問で平和都市に化けたラサ―チベット(tonbani)

2013年07月01日

■米大使が訪問し ラサが突然平和都市に変身■


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2013年6月25日、ゲイリー・ロック在中国米大使がチベット自治区ラサ市を訪問した。米大使の訪問は2010年以来で、異例の許可となった。

そのロック大使が訪れたラサ市で興味深い現象が起きた。ラサ市といえば、どこを歩いても監視カメラと警官にでくわすことで知られる。「中国で一番安全な街」と揶揄されるゆえんだが、現地チベット人がRFAに伝えたところによれば、ロック大使訪問中、ラサから警官の姿が消え、突然、平和都市が出現したという(28日付RFA英語版、29日付RFAチベット語版)。

「パルコルを中心にラサ市内にあった検問所や武装車両が消えた」と匿名希望の現地報告者は伝える。「パルコルの屋上にいつも見えていたライフルを持った警官の姿も見えなくなり、ラサの至る所にあったボディスキャン所も無くなった」、「ラサは突然平和都市に変身した」という。

ラサでは宗教的集会も禁止されていたのに「ツォモ・リン地区で仏教法話の会が開催された」、そこには「警官たちが、チベットの田舎の遊牧民の格好をして、手にはマニコロと数珠を持っていた」、「まったくお笑いだが、彼らがやった事はこんなだった」と彼は言う。

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大使本人からのコメントはまだ発表されていないが、米政府の外交報道官Patrick Vintrellによればロック大使はラサでチベット自治区党書記の陳全国、ラサ市党書記に会い、「外交官、外国人記者、外国人旅行社に対し、もっとチベットを解放すべきで、チベット人の言語、宗教、文化を含む文化遺産を保存することの重要性を説いた」とされ、さらに「増加する焼身事件への憂慮も表明した」と報告される。なお、会談にはラサ地区の主な僧院の僧院長も出席していたという。

北京に戻ったロック大使がどのようなコメントを発表するかが注目される。大使も当局が訪問に合わせ、舞台をしっかり整えていたであろうことは十分承知の上であろう。自分が見たり聞いたりしたことがすべて舞台上の演技であり、真実の姿ではないこともご存知のはず。ではあるが、彼がラサを訪問するだけで、メディアがラサを話題にし、2008年以降の厳戒態勢やら焼身の話が書かれる機会になったことだけは確かである。

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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2013年6月30日付記事を許可を得て転載したものです。


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