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家畜の“放生”は本当に善行なのだろうか?トルの放生に考えたこと―チベット(tonbani)

2013年07月06日

■アムドで1万5千頭の「トル」を放生■

用善心改造世界
用善心改造世界 / Master 心道法師


■チベットの放生


 「放生」とは仏教徒が囚われの動物を自然に放つことで、徳を積むという行為である。飼われている鳥を放つ、市場で売られようとする鶏や魚等を放つ、家畜を放つというようにその対象は様々である。

チベット人が法要のために集まる場所には中国人やインド人がこれ見よがしに、捕らえた野鳥や魚を持って来て、金を取って放生を勧めるという商売もある。この場合には放たれたものをもう一度捕まえ、それを繰り返し儲けるということもある。

チベットでは羊、ヤギ、ヤク等の家畜を放生するというのが一般的だが、この放生を勧める会もあるようだ。RFAによると、6月、アムドを中心に放生を勧める「利他放光会(གཞན་ཕན་ཀུན་སྣང་ཚོགས་པ།)」の呼びかけに応じて、ケンロ(甘南チベット族自治州)のルチュ、ツォネ、ボラ、アムチョク、ギツァン、メシュル、ギャマ僧院等から多くの家畜がサンチュ県アムチョク郷に集められた。その数は2100頭に上ったという。この地区での呼びかけはこれで3回目というが、今回は従来以上の数となったようだ。

利他放光会は多くの犠牲者が出たジェクンド大地震(青海地震)の後、僧アニ・ケルタが設立したもの。これまでに1万5千頭の「トル རྟོལ།」の子供を放生したという。


■家畜の放生に対する複雑な感情

この「トル」と呼ばれる家畜はゾモ(ヤクと雌牛を掛け合わせ生まれた雌)と、ヤクが掛け合わさって生まれた牛科の交配種である。この「トル」はゾモからミルクを採るための邪魔になるというので、普通、生まれてすぐ殺されたり、食肉用にされるという。生まれながらにそのような可哀想な境遇となる「トル」を集めて放生したというのである。

私はこの話を読んで、少し複雑な気持ちになった。そこで、ルンタ・レストランに行った時、最近チベットの田舎から来たルンタで働くチベット人にこの記事を見せながら、「これって、少しおかしくないか?このトルと呼ばれる動物は元々チベット人たちが、自分たちの都合で創ったゾモから生まれた子供だろう。それを放してやったといって徳を積んだと喜べるのかね?」と聞いてみた。

すると、そのチベット人(カンゼから最近来た女性)は「ほっとけば、殺されるだけだ。チベットじゃ役に立たない人のことを『トルのようなやつ』というぐらいだ。それを放してやったのだからいいに決まってる。第一、トルは創ろうとしてできたんじゃない。勝手にヤクとゾモがやってしまってできただけだ」と、いまいちすれ違いの答えしか返って来なかった。

ま、とにかく、人間に勝手に創られ役立たずとされた罪のないトルたちが殺されないで放たれたのはいい事だと素直に思うことにしよう。とはいえ、この小さなトルたちが親もいないのに無事に育つのか、心配な気持ちはぬぐいされないのだが。

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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2013年7月5日付記事を許可を得て転載したものです。


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