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ヒラリーが語る王立軍事件、爆弾発言の余波は周永康に(水彩画)

2013年10月21日

■ヒラリーが語る王立軍事件■

Hilary at the Christmas House
Hilary at the Christmas House / Karen Apricot New Orleans


中国共産党中央政治局委員にして重慶市委書記だった薄熙来の失脚。「天安門事件以来最大の政治事件」とまでいわれたこの事件の引き金を引いたのは、重慶市副市長の王立軍による米領事館への逃亡劇です。

王立軍事件についてはさまざまな報道、リーク、噂話が飛び交っているわけですが、ここにきて重量級の証言が飛び出しました。当時の米国務長官、ヒラリー・クリントンによる証言です。


■ヒラリーの証言

英国の王立国際問題研究所(チャタムハウス)は毎年卓越した国際的外交官を表彰しています。このたびヒラリー元国務長官が表彰を受けることになり、ロンドンを訪問しました。授賞式前の講演で国務長官時代を振り返っているのですが、その中で王立軍事件についても触れています。

この動画はYoutube、そして中国の動画サイトにも掲載されています。





さらに文字おこしした記事も財新網が掲載しました。すでに削除されていますが、香港の文匯報や大公報が転載しています。
ヒラリー「王立軍は薄熙来の殺し屋」(財新、2013/10/17、文匯報転載記事)


■政治亡命は拒否も中央政府への連絡で支援

ヒラリーによると、王立軍は2月6日に成都の米国総領事館に現れて政治保護を求め、薄熙来の妻がヘイウッドを殺害したと明かしてきたといいます。

領事館からロック大使を経由して、本国のヒラリーへ報告。ヒラリーが直接、事件の処理に当たっています。その状況はというと、成都市の米領事館を政法委麾下の車両が隙間なく取り囲んでいたという大変なもの。状況が緊迫しているなんてものではありません。

王立軍は政治亡命を求めたわけですが、米国が出した回答は外国人に与える政治的保護のいかなる条件にも当てはまらないというもの。かくして政治亡命は拒否されます。ただし真相を伝えたいので中央政府に連絡したいという王の要求は認められ、北京から飛んできたお偉いさんの同席の下、王は領事館を離れることになります。問答無用で口封じというシナリオは封じられたことになります。

なお上述財新網記事は「事件発生の1週間後に、当時国家副主席だった習近平の訪米があった」と付け加えており、訪米を控えて事態を大きくしないための米国の配慮だったと示唆しています。


■新たな爆弾、領事館を包囲したのは薄熙来の部下ではなかった?!

さて、このヒラリー証言の価値はどこにあるのでしょうか。第一に王立軍事件について色々な噂が流れていたわけですが、元国務長官自らその噂の一部を認めたことが上げられるでしょう。

そして新たな情報として注目されるのが領事館を包囲した武装警察についてです。重慶市の黄奇帆市長が手勢を率いて成都市に乗り込んだなどとも噂されていましたが、ヒラリーは「彼らは薄の部下ではない」と発言しています。重慶市の手駒ではないとするならば、やはり当時、周永康がトップだった政法委から借りたということになるでしょう。

どうやって「薄の部下ではない」ことを知ったのか気になるところですが、領事館を包囲した車両のナンバーでも確認したのでしょうか。ナンバーが重慶市の略称である「渝」ではなく、武装警察(Wuzhuang Jingcha)の車両を意味するWJだったり、四川省の略称である「川」だったとか。あるいは包囲した武装警察が自ら所属を名乗ったのでしょうか。

薄熙来や王立軍に対する処遇はほぼ決した感がありますが、ヒラリーの証言が政法委、すなわち周永康による薄熙来支持を示すものだとすればその意味はきわめて重大です。記事「結局周永康と薄熙来ってどういう関係なのよ」でも述べましたが、今、注目を集めている周永康の失脚騒動はつまるところ薄熙来を支持したことに由来しているからです。

上述財新網記事はすでに削除されていますが、そうした敏感さを秘めているがゆえではないでしょうか。このヒラリー証言は周永康問題にもつながりかねない危険性を秘めています。

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*本記事はブログ「中国という隣人」の2013年10月18日付記事を許可を得て転載したものです。


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