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炎の中からラサに向かうチベット人たち、治安維持という名の監視と脅し(tonbani)

2014年01月09日

■ウーセル・ブログ「炎の中からラサに向かうチベット人たち」■


20140109_写真_チベット_焼身_

チベット人作家ツェリン・ウーセルは去秋にラサに滞在した時、不思議な事実を知ったという。

ラサを訪ねた巡礼者たちに話を聞いたところ、巡礼者たちはみな焼身者の出身地からやってきていた。しかも巡礼者の多くは焼身者と年齢が近く顔つきも似ていて、「まるで焼身者の家族のように思えた」と話している。またウーセルは巡礼者を泊める宿が「治安維持」という名の強烈な脅しを受けていることも明かしている。


■炎の中からラサに向かうチベット人たち
ブログ・看不見的西蔵、2013年12月27日
翻訳:雲南太郎

2013年12月3日午後、アムド地方ンガバ(現在の四川省アバ・チベット族羌族自治州アバ県)のメルマ郷政府前で、30歳の遊牧民クンチョク・ツェテンが焼身抗議し、軍警に州都マルカム県へ連れて行かれる途中で死亡した。12月19日午後には、アムド地方サンチュ(現在の甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)のアムチョク鎮で、42歳の僧侶ツルティム・ギャンツォが焼身し、その場で死亡した。

クンチョク・ツェテンとツルティム・ギャンツォの焼身により、2009年以降のチベット人焼身者の数は129人になった(内訳はチベット本土124人、国外5人)。2013年は28件の焼身が起きた(本土26件、国外2件)。これまでに、分かっているだけで本土の107人と国外の3人の計110人が犠牲になっている。関わっているのは一人一人の生きた命なのだから、これは驚くべき数字だ。


■ラサで出会った巡礼者たち

11月にラサを離れようとしていたころ、私は僧院を参拝してもバルコルを回っても、アムドやカムから来た少なからぬチベット人の老若男女にいつも出会った。ラサ訪問を禁じられた残酷な数百日を経て、彼らはついにラサを巡礼できるようになった。ラサ入り前には尋問を受け、ラサ滞在中にだけ使える証明書を身分証と引き替えにして取らなければならない。ラサ入り後には指定された旅館に泊まり、公の場で絶えず身体検査や尋問などを受けなければならない。しかし、ようやく彼らはジョカンに供えられたジョウォ・リンポチェ(本尊の釈迦牟尼像)を拝めた。ようやく合掌してポタラ宮に祈り、巡礼路の1本1本で五体投地ができた。

いつも私は巡礼者を遮り、どこから来たのかと尋ねた。彼らの答えた地名は全てチベット人が焼身した地域だった。彼らの多くは焼身者と年齢が近く、顔つきも似ていて、焼身者の家族のように思えた。はるばるやって来たチベット人について私がツイッター上で伝えると、芸術家のアイ・ウェイウェイは感嘆して書いた。「炎の中から出てきたこの人たちはどこへ行くつもりなのだろう?彼らの気持ちを癒やせる場所はどこだろう?どうすれば彼らを慰められるのか、私には分からない」。ラサは本来なら巡礼者の苦しい心を癒やせるが、彼らは大通りや路地にあふれたゲート型金属探知機や警務站で体や携帯電話を調べられ、臨時居住証を求められる。言いなりにならざるを得ない彼らの姿を見ると、私の胸は苦しくなる。


■万が一宿泊客から焼身者が出れば……

少し前にラサの公安部門は各宿泊施設に通知を出した。通知にははっきりとこう書かれていた。

「届け出るべき人員の登記の流れ:客の証明書をチェック―届け出―公安機関が確認―登記―送信―宿泊―出発―出発時刻を登記―プラットフォーム上にチェックアウト時刻を登記。届け出対象の者(自治区内ではチャムド地区、ナクチュ地区東部のディル県、ソク県、バチェン県、自治区外では青海、甘粛、雲南、四川、新疆籍の漢族以外の者)が巡礼や親族訪問、病気の治療、観光、出張、買い物などで一時的にラサに来たら必ずチェックする。10分以内に派出所に届け出て(電話6823809)、派出所は10分以内に確認する。宿泊施設はその後に登記、送信してよい。無届け▽1人の証明書で複数人が宿泊▽証明書なしで宿泊▽登記者以外の者が宿泊▽期限切れの証明書を使用――などの問題があれば、関係法規に従って厳しい態度で断固処罰する。深刻な結果を招いた違反は断固取り締まる」

聞くところによると、ラサの公安は各宿泊施設を集めた会議で、昨年5月27日にジョカンとバルコル派出所の間で起きたアムドの青年2人の焼身を取り上げた。そして、ほかの土地から来たチベット人宿泊客に細心の注意を払い、速やかに届け出るよう警告した。もし宿泊客から焼身者が出たら、と公安はすごんだ。「そうなれば『満斎飯店』の二の舞いだ。破産して、一家離散になってもらう」。この言葉はラサに広まった。

ジョカンの南側に面した「満斎飯店」は、アムドの青年が焼身前に泊まった宿だ。当局の怒りを買ったため、オーナー夫婦と入り口の警備員が捕まり、全財産が没収された。建物は「ラサ市バルコル古城管理委員会」に改装され、バルコル派出所はすぐ「バルコル古城公安局」に格上げされた。ラサ旧市街は「バルコル古城」と命名され、これをきっかけとして大規模ですさまじい旧市街改造が始まった。実は旧市街改造は一石二鳥で、「治安維持」の目的と取り決めの方が大きかった。

2013年12月 (RFA特約評論)

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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2014年1月6日付記事を許可を得て転載したものです。

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 コメント一覧 (2)

    • 1.
    • 2014年01月09日 18:05
    • チベットはどうすれば救われるんだろうな
      中共は手を緩める気配はないし…
    • 2. 名無し
    • 2014年01月11日 09:28
    • 10億人もいて誰もこれを議論できないなんてそんな国おかしい、尖閣は無駄に抗議するくせに。

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