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なぜ中国政府は劉暁波の平和思想を受け入れられなかったのか?中国法から考える(高橋)

2017年07月31日

中国法の専門家である高橋孝治氏よりご寄稿をいただいた。平和的な政治改革を迫る劉暁波の思想はなぜ中国政府に受け入れられなかったのか。そもそも劉暁波氏と中国政府の間では「民主」「人権」「憲政」といった用語の定義から大きく異なっており、両者には歩み寄る余地がなかったと分析している。


【追悼・劉暁波氏】劉暁波「08憲章」の法思想

2017年7月13日、ノーベル平和賞受賞で有名な劉暁波氏が亡くなった。劉暁波氏は中国の民主化を訴え続けた人権活動家であり、多くの著作を残している。これら著作の中で最も有名なのが2008年12月9日に公開された「08憲章」であろう。ここでは、劉暁波氏が遺した「08憲章」に流れる法思想を見ていきたい(註1)。

Tiananmen 天安門
Tiananmen 天安門 / INABA Tomoaki


「08憲章」とは、中国の政治・社会体制について、中国共産党の一党独裁の終結、三権分立、民主化推進、人権状況の改善などを求めた声明文で、2008年12月9日に公表された。そしてその内容は「1949年に樹立された『新中国』は、名目上は『人民共和国』であるが、実質上は『党の天下』であった」など、中国政府が許容する言論を大きく超えていた。結果、「08憲章」を公表したことにより劉暁波氏は、国家転覆扇動罪で11年の懲役を言い渡された。


「08憲章」上の中国憲法の人権規定の評価

「08憲章」では、「2004年の憲法改正で『人権の尊重と保障』を憲法に書き入れ、今年はまた『国家人権行動計画』の制定と遂行を承認した。しかし、これらの政治的進歩は、現在にいたるまで、そのほとんどが紙の上に留まっている」と中国憲法の人権条項を「政治的進歩」と評価しているものの、それは紙の上に留まっていると批判している。

中国の憲法については立派な文言があるがそれが実現されていないという主張が主要なトーンと言える。しかし、この理解は果たして正確なのだろうか。確かに中国の憲法には「人権」「民主」といった、民主主義社会では耳慣れた言葉が使われているが、その内実はまったくの別物。これが中国憲法学の主流の見方だ。一つずつ説明していこう。

まず「人権」について。そもそも中国では、「人民(中国共産党の指導に従う者)にしか権利を認めない」という構成がとられており(註2)、中国憲法に規定された「人権」とは、「人民の権利」の略なのではないかと考えられてきた(註3)。そうすると、2004年の中国憲法改正で導入された「人権」規定は、市民の権利を保証する規定ではなく、むしろ逆で「共産党に逆らう者に一切の権利を認めない」という理論を強化する規定と考えられる。

その意味では、「規定したことは政治的進歩であり、実態は紙の上に留まっている」という評価は妥当ではなく、「規定したことこそが大きな後退であり、実態もその通りになっている」と評価されよう。

もちろん、中国の法学者の中には、この規定を「西洋型の人権規定」と捉える者もおり、一部の学者の解釈と中国の政府解釈の乖離が著しいものとなっているとも指摘されている(註4)。残念ながら、劉暁波氏の解釈も中国政府の解釈とは大きく異なったものだったと言えるだろう。


「08憲章」上の中国憲政に対する評価

「08憲章」では「憲法はあっても憲政はなく」という文も出てくる。憲政とは、「憲法に基づく政治」ということであるが、中国憲法の場合はこの「憲法に基づく」という解釈が難しい。

中国憲法前文第7段落には「共産党の指導」という言葉があり、これが中国憲法上最も重要な規定とされている。これにより、中国憲法の解釈権をも中国共産党が持つことになり、中国共産党が憲法の上に存在しているということになる(註5)。もっとも、単に中国共産党が中国憲法の上にいると述べるだけでは、誤りになる可能性がある点も忘れてはならない。中国憲法第5条第3項は「一切の国家機関……各政党および社会団体は……憲法および法律を遵守しなければならない」と規定しており、こちらの条文に着目すると中国共産党も中国憲法の下にいることになる。実は、中国憲法と中国共産党の上下関係には回答が出せないのである。

しかし、少なくとも中国憲法前文第7段落に着目する限りは、「中国共産党が自由に解釈することのできる憲法による政治」こそが現行中国憲法下での「憲政」なわけで、これは現在の中国の政治状況そのものなのではないだろうか(もっとも、これこそが「08憲章」でいうところの「党の天下」なのだが)。

この意味では、中国に憲政がないとは一概に言えるものではない。

「08憲章」上の民主に対する考え方
「08憲章」二、我々の基本理念、「民主」の項目では、「民主は、次のような基本的特徴がある。(1)政権の合法性は、人民に由来し、政治権力の源は人民にある。(2)政治的統治は、人民の選択により決定される」と述べている。

しかし、これも先に述べたように、現在の中国での「人民」の定義は「共産党の指導に従う者」であり、人民が選択するのは共産党に決まっている。その意味では中国では既にこのような民主は実現しているとも言えるのではないだろうか。ちなみに、中国で中国籍を持つ者は法律上「国民」と呼ばれている。


おわりに

劉暁波氏は中国憲法における「人権」「民主」などの用語を西洋型理論と同一のものとして解釈していた。しかし中華人民共和国の歴史において、これらの言葉は海外とはまったく違う独自の意味合いを付与されていたのであった。

言葉は同じでも内実が違うという現状を踏まえるならば、「08憲章」上でも正確な用語の定義を置くべきだったのではないだろうか。「08憲章」で、用語の定義と呼べるものは、「人権は、国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらにして有している権利である」との一節があるのみだ。

また総括すると、「08憲章」の法思想とは、中国政府による用語の捻じ曲げを批判し、中国も西洋型人権論、憲政論を導入した国家へと改革するべきだという要求と言えよう。もっともこの要求は社会主義国家としての中国の完全否定を意味しているだけに、中国共産党が受け入れることはありえなかっただろう。

劉暁波氏の夢見た新たな中国は西洋型理論を受け入れることだったが、残念ながら現統治体制と鋭く対立しており、平和的な体制改革という手法とは相容れないものであった。中国共産党も受け入れることが可能な、中国的社会主義と融和的な政治改革プランはありうるのだろうか。一考に値する問題だ。

最後に劉暁波氏のご冥福を祈って筆を置きたい。

(註1)「08憲章」自体の日本語全文は、土屋英雄『中国「人権」考――歴史と当代――』日本評論社、2012年、323~329頁や劉暁波、劉燕子(編)『天安門事件から「08憲章」へ』藤原書店、2009年、205~227頁などを参照。
(註2)毛沢東「関于正確処理人民内部矛盾的問題」中共中央文献研究室(編)『毛沢東文集(第七巻・1956年1月―1958年12月)』中国・人民出版社、1999年、205頁、209頁、212頁(初出は『人民日報』1957年6月19日付)。周恩来「人民政協共同綱領草案的特点」中共中央文献研究室(編)『建国以来重要文献選編(第一冊)』中国・中央文献出版社、2011年、14頁(初出は1949年9月21日~30日の中国人民政治協商会議第一回全体会議報告)。西村成雄=国分良成『党と国家――政治体制の軌跡(叢書中国的問題群1)』岩波書店、2009年、108頁。
(註3)後の2016年には中国政府は正式に「人民の権利」という用語を使いだした。『中国司法領域人権保障的新進展』中国・中華人民共和国国務院新聞弁公室、2016年、1頁。
(註4)石塚迅「『人権』条項新設をめぐる『同床異夢』――中国政府・共産党の政策意図、法学者の理論的試み――」アジア法学会(編)、安田信之=孝忠延夫(編集代表)『アジア法研究の新たな地平』成文堂、2006年、358~359頁。
(註5)石塚迅『中国における言論の自由――その法思想、法理論および法制度――』明石書店、2004年、167頁。

■執筆者プロフィール:高橋孝治(たかはし・こうじ)
日本文化大学卒業・学士(法学)。法政大学大学院修了・会計修士(MBA)。都内社労士事務所に勤務するも、中国法の魅力に取り憑かれ勤務の傍ら、放送大学大学院修了・修士(学術)研究領域:中国法。後に退職・渡中し、中国政法大学 刑事司法学院 博士課程修了・法学博士。特定社労士有資格者、行政書士有資格者、法律諮詢師(和訳は「法律コンサル士」。初の外国人合格)。著書に『ビジネスマンのための中国労働法』(労働調査会、2015)。『時事速報(中華版)』に「高橋孝治の中国法教室」連載中。ブログ「中国法研究の資料室」を運営。

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