• お問い合わせ
  • RSSを購読
  • TwitterでFollow

不審死きっかけに数万人参加の暴動発生=あらわになった公権力への不信感―湖北省石首市

2009年06月21日

 6月19日から20日にかけて湖北省石首市で大規模な暴動が発生しました。なんと数万人が参加、200人以上が負傷したと伝えられます(時事通信の報道)。一人の男の自殺から始まった事件ですが、なぜこれほどの騒ぎとなったのか?その背後には公権力への信頼が失われている中国社会の現状が潜んでいます。

 まずは事件の概要をお伝えします。事件の情報は伝聞が多く混乱していますが、比較的わかりやすい21日付ラジオフランスインターナショナル(RFI)中国語版サイトの記事を主に参照しています。

 17日夜、湖北省石首市のホテル・永隆大酒店の前で男性の死体が発見された。男は涂遠高(24歳)、同ホテルのコックだった。警察は遺書を発見、世をはかなんでの自殺と断定した。

 しかしこの発表に納得しなかったのが遺族だった。遺族によると涂の口や鼻は血でいっぱいだったが、遺体の発見場所には一切の血痕が残っていない。まず殺された後にホテルから投げ落とされたのではないか。遺族はそう疑っていた。

 ではなぜ涂は殺されなければならなかったのか?現地での情報によると、涂は永隆大酒店の経営者が麻薬の密輸にかかわっていたことを知り、その事実を突きつけて給料を上げるよう要求したためだという。また石首市の電力会社、警察、裁判所トップの親族は同ホテルの株主であり、権力との深いつながりがあったとも伝えられる。

 ホテル側は自殺であると認めれば3万元(約42万円)を支払うと持ちかけたが、遺族はこれを拒否。19日には涂の村の住民1000人が市政府前に集まりデモを行った。またホテルの死体を移動しようとしたところ、1000人以上の市民がホテル玄関に押し寄せて妨害した。また道路にはバリケードが貼られ、死者を警護した。警察は4度にわたり遺体の回収を試みたが、ことごとく阻止された。

 20日夜には石首市に武装警官8000人が到着した。また周辺地域には兵士1万人が集結していたと伝えられる。21日午前3字、武装警官を乗せた150台の輸送車が永隆大酒店に向かった。一部は銃を携帯していたという。数万人もの市民が政府の禁止令を無視して集まっていたが、ホテルを囲みバリケードを築き、さらには石や酒瓶を投げるなどして警官に抵抗した。市民と警官隊の衝突により負傷者が発生したほか、抵抗した市民が逮捕されたとも伝えられている。21日付人民網によると、すでに市民は解散し涂の遺体も葬儀場に運ばれたという。

 多くのメディアが指摘していますが、事件の構図は昨年の貴州省の暴動、いわゆる「腕立て伏せ事件」と全く一緒です。「腕立て伏せ事件」では被害者が川に飛び込む前にある青年が上にのしかかっていたとの証言がありましたが、警察は性的暴行はなく自殺だったと認定。問題の青年は「一緒に腕立て伏せをしていた」と証言しました。青年は地元高官の息子であるとうわさされ、市民は「公正な検視」を求めて暴動を起こしました。

 RFIは事件を次のように総括しています。「どんな正常な法治国家であってもさまざまな殺人事件は起きる。ただし中国の多くの地域では司法機関、国家機関は完全に信頼を失っている。なんの権力も持たない一般市民から見れば、権力者はすべてを偽造することができ、検視結果もまたその例外ではないと感じている。そのため人々は検査が行われるまえに火葬されることを恐れ、大きな衝突へとつながった」、と。

 中国では「弱勢群衆(権力を持たない人々)」という言葉がよく使われます。汚職官僚や公権力と結託した企業家が栄華を極める一方で、一般市民であり権力を持たない「われわれ」は虐げられている。そうした強い怒りが人々の間に潜んでいます。胡錦濤政権のスローガン「和諧社会」(調和社会)とはまさしく公権力の信頼回復を目指す運動にほかなりません。しかし今回の事件を見ても明らかなように、まだまだ長い道程が残されています。



*当初、河北省と表記していましたが、正確には湖北省です。失礼しました。

人気ブログランキング   にほんブログ村 海外生活ブログへ

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
投票よろしくお願いいたします。

コメント欄を開く

ページのトップへ