7日早朝の発表では、ウルムチ騒乱の犠牲者数は156人と前回発表より16人増えた。負傷者数は1080人を数えている(
7日付レコードチャイナ)。犠牲者の多さはもちろんのこと、事件の背後に潜む「救いようのない構造」が気を重たくさせる。
ウルムチ騒乱の発端となった集会は、6月26日に広東省韶関市の玩具工場で起きた暴行事件に抗議する目的で開催されたと伝えられている。この6月26日の事件がなんとも「救いようのない」ものであった。(
6月28日付レコードチャイナ)
広東省では中国西部地区の余剰労働力を出稼ぎ労働者として引き受ける政策を実施していた。事件が起きた工場でも今年5月に約600人の新疆ウイグル自治区出身者を採用している。彼らが採用された後、「ウイグル人が漢民族の女性を暴行した」とのうわさ(いくつかのバージョンがある)がインターネットを中心に広まっていった。25日、ついに事態は臨界点を超え数百人が入り乱れる乱闘騒ぎとなった。ウイグル人2人が死亡したと発表されているが、一説には犠牲者数は発表を大きく上回るとも伝えられている。
・玩具工場暴行事件の動画
この事件の何が「救いがたい」のか。漢民族で騒ぎに加わった者の多くは工場労働者と伝えられているが、低所得者層に位置する人々である。またおそらくは出稼ぎ農民も含まれていただろう。中国語で「弱勢群衆」と呼ばれる権力を持たぬ人々が、さらに弱い人々を蔑視し暴力を振るった。事件はこうした「構造」を内包している。
中国の一般市民には少数民族への差別意識が根強く残っている。中国滞在時には月給1000元(約1万4000円)程度の低所得者層の友人も多くいた。みな気の良い友人であったが、一緒にでかけると「ウイグル人がいる。泥棒だから注意しなさい。」「チベット人はうそつき。」などと親切にも警告してくれたことを思い出す。
差別の対象はウイグル人やチベット人だけではない。多くの少数民族が住む雲南省や貴州省では、タクシーの運転手に「少数民族はうそつきで怠け者なんだ」と熱弁を振るわれた。それどころか「あそこのレストランは河南省の出稼ぎ農民がやっている。汚いから行かないほうがいい」と漢民族相手でも差別意識をむきだしにしていることもある。
今年2月、文学賞・エルサレム賞を受賞した村上春樹氏はスピーチで次のように話している。「「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます」、と。(
日本語訳は47ニュースのもの)
「卵と壁」、この比喩を強い者と弱い者と理解するならば、社会的に弱い立場にある工場労働者がウイグル人を暴行した事件は「卵と卵」とでも言うべき状態であろう。そこには批判するべき「強者」が存在せず、もはや途方にくれるしかない。
村上春樹氏は「卵と壁」の比喩を強者と弱者となぞらえることもできると認めながら、より深い解釈があるという。「私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです」、と。
この解釈に従えば、「卵」とは個性や個人的な感情に従うことであり、「システム」とはそれを妨げるあらゆるもの、といったところだろうか。あくまで個人的な地点から出発して考え行動すること。それは決して不可能なことではないように思う。ただしそれはあくまで個人的な体験であり、多くの人に広めようとする運動になった瞬間に「卵」としての属性を失ってしまう、きわめて脆いものでしかない。
ウルムチ騒乱発生後、鎮圧された集会が暴力的な破壊活動だったと報じられていることもあり、ウイグル人への憎悪はむしろ高まる一方だ。そうした視点に立てば、中国政府の民族融和政策や西部地区への財政支援も「金をゆする汚い行為」にほかならず、「やつらは優遇されている」との怒りにつながっている。もちろんウイグル人も「俺たちは虐げられている」との強い憤りを持っている。
弱い者たち同士、虐げられた者たち同士による憎悪の連鎖。その「救いようのない構造」に出口は見えない。
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