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<ウルムチ騒乱>官に「声を届ける」こと=陳情からマスメディアへ

2009年07月12日

本エントリーは「民意が国を滅ぼす時=血の報復を叫ぶ市民」「皇帝とポピュリズム=現代中国の政治文化」の続きです。

前回は現代中国の政治状況(政治文化と呼ぶこともできるだろう)が伝統中国の影響を色濃く残したものであり、政治家は慈悲深い「父母官」としての役割を演じることを求められていることを述べた。

ではこうした社会において権力を持たない一般市民が取るべき合理的な行動はなんだろうか?それはもちろん慈悲深い権力者に自らの窮状を伝えることにある。前エントリーで政治家の慈悲深い振る舞いが「社会正義」を実現するツールとして機能したことを指摘した。しかしその回路は政治家が目の届く範囲に限定されるため、恩寵に預かるにはどうにかして声を届かせなければならない。

声を届かせる最もクラシカルな手段、それは陳情、中国語でいう「上訪」である。日本は中国の「上訪」に関するニュースは、「陳情者が北京に到着したら警官が待ち受けていて地元に連れ戻された」「陳情者が寝泊まりする上訪村に長期間逗留しているが、いつ訴えが取り上げられるかわからず不安な日々を過ごしている」といったネガティブなイメージで伝えられることが多いが、見逃してはならないのは中国政府が「上訪」という訴えの回路を決して閉ざそうとはしないことである。最上級の官が慈悲深くも恩恵を下す、その可能性は限りなく低いが道は閉ざさない。こうした制度設計は伝統中国から変わらず存在し続けている。

「上訪」以外に声をとどかせる手段として新たに生まれたもの、それは新聞やテレビといったマスメディアだった。前回エントリーでは温家宝首相の鶴の一声で誘拐事件が解決したエピソードを紹介したが、温首相は子どもを失った両親たちの声を直接聞いたのではなく、いきさつを報じる新聞を読んだのだった。

こうしたドラマチックな事案のみならず、マスメディアの「声を届ける機能」はさまざまな場面で機能している。たとえば地方局のニュース番組。「マンホールがなくなって道路に穴が空いた状態。危険すぎる」といった住民のささいな訴えが取り上げられる。カメラはその住民が担当部門を訪問し、道路にマンホールが設置されるまでを映し出す。

マスメディア自身も「声を届ける機能」についてきわめて自覚的だ。電話ホットライン、チャットソフト、メールアドレスを公開し、積極的に訴えやたれ込みを受け付けている。マスメディアは「上訪」と比べ、訴えに必要なコストをはるかに引き下げる効果をもたらしたのと同時に、訴えから問題の解決というプロセスを可視化し、人々に伝えるという意味で大きな影響をもたらした。

新聞やテレビなどのマスメディアが変えた「声を届ける機能」。しかし21世紀に入り普及したインターネットもまた「声を届ける機能」を有する新たなツールとなりつつある。しかしそこには「上訪」やマスメディアとは決定的に異なる要素を有している。次回エントリーではこの点を考えてみたい。


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