中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2010年08月05日
中国におけるスポーツ選手は国家が育て、国家のために競技を戦い、その成果は国家に帰することが原則となる。そのために、国家は 彼らに基本的な衣食住と豊かな練習環境、指導者を提供する。最終目標はオリンピックであり、そこで金メダルを取って、中国の威光を世界に示すことである。 その点については一切異論はない。選手たちがしばしば口にする「祖国争光」という言葉がそれである。
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「体育学校」→「省・市代表」→「国家代表」というピラミッド型の選手育成システムを「三級制度」と呼んでおり、中国のアスリート養成の基本と なっている。この三級制度は、何をおいてもオリンピックで金メダルを取るためのものであり、そのための「挙国体制」といえる。そして、このピラミッドに入 れない者は、基本的にはアスリートの道から遮断され、スポーツとはほとんど縁のない生活を送ることになる。
知られざる中国スポーツ(1) | スポーツCHINA | スポーツナビ+
(1)中国スポーツ黎明期
1949年10月1日、毛沢東が天安門広場で新中国が建国を高らかに宣言し、中華人民共和国が誕生した。近代中国スポーツの発展はここから始まる。一党独裁体制を敷いた共産党は一般市民の「体育活動」を非常に重視する考えを示した。
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ただこの「民主主義的体育」の理想はわずか数年で方向転換されることになる。
知られざる中国スポーツ(2) | スポーツCHINA | スポーツナビ+
(2)国家スポーツへの傾倒
なぜか建国当初に設立された「中華全国体育総会」は廃止されなかった。
これは次のような事情がある。ヘルシンキ五輪後、政府はスポーツが単なる宣伝道具というだけでなく、外交の道具としても重要だということを認識し ていた。西洋諸国はすでにこのころから「非政府」のスポーツ協会が“スポーツ外交の中心となっており、中国も「非政府」的な窓口を残しておく必要があっ た。そのため、実質的な管理は国家機関が担うにしても、名義だけでも「中華全国体育総会」を残しておく必要があったというわけだ。
これは地方組織も同様だ。競技別に作られたスポーツ協会の役割も「中央体育運動委員会」を頂点とする行政組織に取って代わられたのだが、やはり名目上は「協会」が残される結果となったのだ。現在も、「中華全国体育総会」のもとに67のスポーツ協会が活動を続けている。
この二重構造は中国独特であり、実に半世紀以上たった今でも残っているのは興味深い。
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