中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
ちょうどこの原稿を書いている12日、財新網に興味深い記事が掲載された。上述の焼身自殺事件が起きた宜黄県の官僚が投稿した論文だ。強制取り壊しは地方政府にとっても望むものではないが、やむをえなかったとして、こう主張している。「強制取り壊しがなければ、中国の都市化はない。都市化がなければ、各地の「新たな中国」はない。すなわち強制取り壊しがなければ『新中国』はないと言えるのではないか?」、と。
GDPは消費、投資、輸出によって規定されるが、「世界の工場」の輸出とともに経済成長を支えてきたのは、強引な土地収用を背景にした再開発投資であった。その意味で、宜黄県の官僚の主張は正しい。しかし、一方でそうした旧来の手法は限界を迎えつつあることを白虎頭村は示したのではないか。著名エコノミストの謝国忠(アンディ・シエ)氏はインフラ建設を中国の競争的優位だと指摘。中国は政府が強い力を持ち、容易に土地収用を行うことができるとことが、他の新興国との違いだと分析している。一方で官主導の再開発はバブルを生み出し、長期的には中国経済にとってのリスクになるとも警告している。
経済的な視角から見ても、そして住民の権利意識という視角から見ても、強制土地収用に依存する経済成長モデルは限界を迎えつつあるのではないか。上海や広東省などの経済先進地帯ではなく、広西チワン族自治区北海市という場所でネットを駆使した反対運動が起きたことは、この意味でも象徴的である。
「外需から内需へ」「質の向上という産業構造転換」など、中国では現在、改革を求める声が上がっている。「強制土地収用を用いる再開発投資の見直し」も、改革の中に組み入れられるべきものだろう。中国経済の高成長を支えてきた投資モデルの転換、非先進地域での住民権利意識の高まりを示す白虎頭村の事件。その意義は劉暁波氏のノーベル平和賞受賞にも劣るものではないように思う。