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2010年11月19日
アビシェーク・バッチャン演じるビーラーは狂気の目をした殺人鬼のようで、その鬼気たる表情は役者としてはいい味を出していた。誘拐されたアイシュワリヤー・ラーイも静と動のコントラストが鮮やかで、体当たりの演技だった。お飾りのお人形さんではない、女優根性を見せつけたとも言えよう。すっぴんでの美しさは特筆もの。
マニ・ラトナム独特のスローモーションを用いた幻想的なカメラ・ワークは健在だったが、必要以上にカメラをゆらゆらさせたりぐるぐる回すシーンがいくつかあり、それもまた気分の悪さにつながった。
男たちが集団で踊るダンスシーンなど、見応えがある音楽がいくつかあったが、入り方が悪い。そこだけ浮いてしまった感が否めない。
凶暴なビーラーがなぜそんなに慕われているのか?鍵となる妹の存在が後半まで全然出てこないこと、多少は伏線を張っておいてくれればいいのに、いきなりつじつま合わせをしたような感じがした。何よりも、復讐するなら本人にしろよ、アイシュは関係ないじゃん、女を監禁するなんて手は上げてないとは言え卑怯な男だな、とかストーリー的にも共感しかねるものだった。「悪」にならざるを得なかった男の悲哀や運命のいたずらなどといった叙情的な感情が湧いて来ないのだ。
もうここまでくるとわざと不快な気分にさせようとしているとしか思えない。私は映画を観るとき非日常的な感動だったり楽しさ、笑い、時には悲しみなどを味わいに行く。しかしこの映画では人が殺されたり泣いたり脅えたりのシーンばかりで救いがない。正義の名の元のヴァイオレンスではなく、単なる暴力連鎖にしか見えない。結局マニ・ラトナムは何が描きたかったのか?
この映画祭では通常良い作品の後には拍手がおこるのだが、今回はそれもなかった。ビッグネームが揃った期待作だったので残念だ。