中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2010年12月17日
中国の「対越自衛戦」(訳注:中国では中越戦争はこう呼ばれます)に関して理解するため、私はベトナムの軍事博物館を訪れた。でも、意外なことに展示は全くなく、展示は全て抗米戦争のものばかり。カメラを手にしていた自分は少しがっかりした。
納得いかない自分は博物館の職員に聞いてみた。彼らの表情は厳粛に変わり、こう言った:「あなたはそれを自衛戦と呼ぶが、そんなのはあり得ますか?ベトナムはこんなに小さな国です、ベトナムが中国を侵略しますか?中国は文革が終わったばかりで問題が多く、その危機・問題を転嫁させてきたのだ。それだけが原因じゃないけどね。」
ベトナムが辺境地域で騒ぎを起こしていた、国内華人を追い出した、といった事実があって反撃したのだ、と私が反論すると、そのガイド(訳注:ガイドも通訳だったのがいつの間にか議論に参入(笑))はその是非には直接答えず、尖閣諸島での漁船問題に話題を振り「中国の多くの都市では反日デモがあったそうだけど、実際は中国政府やメディアが煽っただろう?中国人は本当に恨み深い、ベトナム人は他国を恨んだりしないよ、平和な民族だ」と。
彼らの認識の正しきや否やはともかく、彼らが中国のことを良く知っていることに驚いた。近くにいた中国語のできるベトナム人はこう言った「中国人はある時は恨みは忘れていくのが世界の潮流だと言ったり、ある時には徹底的に日本やその他の国を恨んだり、矛盾していませんか?それではあなたたちが如何に経済を発展させても、尊敬はされませんよ。」(訳注:激しいですねぇ)。私は「日本は間違っていた、ベトナムのことも侵略したじゃないか。中国が恨んでもそれは当然だが、国は(デモを)扇動はしていないし、中国人はベトナムのことを恨んでもいない。」と反論した。
私:「中国の軍人がベトナム人女性を助けようと水に飛び込んだ時、その女性は軍人を後ろから撃って殺した。ベトナムでは11,12歳の子どもまで(中国の)人民解放軍を射殺した。これは恩をあだで返す行為ではないか?」ガイド:「あなたたちが侵略してきたんだから、やり返さないわけにはいかないじゃない?」
ベトナムの教科書では、新中国が成立以降の抗日戦争に関する記述がパターン化したような、そんなパターン化の手法を真似しているようだ。1979年「中国の軍隊は、短期間の間ベトナムを占領したが、最後にはベトナムの英雄である人民戦争の大海の中に陥れられ、大きな犠牲を出して逃げ出す他なかった。」軍事博物館にこそ展示は無かったが、ベトナムの博物館には、古代からの中国王朝のベトナム侵略に関する展示があふれている。(訳注:古代からの経緯について記述あるも、ここは翻訳略)
ベトナム各地には戦没兵士の墓地があるが、抗米戦争のものが主要な中、その次には中国との戦闘で無くなった兵士のものがあり、ベトナムが戦没兵士を大事にしていることが窺える。ある人によると、主人が中越戦争で亡くなったため、ベトナムの中年婦人は中国人に物を売りたがらないと言う。
中国人に対する観方について言えば、多くのベトナム人が「まあまあ良い」と言う一方、「普通」或いはより直接的に「悪い、日本に及ばない」という者もいる。中国が脅威となっている、中国人の素行が良くない、悪事を働くというのが理由。中国製品は良くない、バイクは1,2年で壊れる。それに比べて、日本製品は高級で長持ちする。どうりで中国製バイクが少ないわけだ、日本製がほとんどである。
数千年の歴史の中で、ベトナムは戦争が多く、平和な時期が短く、混乱が多く、落ち着いた時期は少なかった。だが、歴史上の各種の恨みつらみを記憶しつつ、平和の大事さをかみしめている。2010年は中越国交60周年、両国間は平和を享受し、貿易や人の往来はどんどん密接になっており、友誼関(訳注:ベトナム・ランソンと中国の凭祥の間にある関所・現在は国境のシンボルとなっている)は、戦争の匂いのする関所でなく、真に友誼の象徴となっている。多くのベトナム人は中国人に対して親切だ。ハイフォン市からハノイに戻る古い列車の中、簡単な英語を使ってベトナムの女の子と交流した。一言だけ中国語を話せた若い男のことは列車中に響き渡る声で「我爱你!」と叫んだ。皆が笑顔になった。(以上翻訳)