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2011年01月13日
私が李克強に忠告できるのは、「せいぜい王老吉に砂糖を多めに混入しておけ」、これだけです。む、これも焼き直しの気がする(王老吉は漢方成分が入ったお茶。上記写真参照)。
太子党は、同じく既得権益層である上海閥と近い位置にあるものの、決して一枚岩ではないと思います。既に後継者がおらず小物だらけとなった上海閥は、来年の党大会で政治局常務委員が全員退場するため、太子党がさらに幅を利かせることは間違いありません。
上海閥にも胡錦濤の支持母体である中国共産主義青年団にも目立った思想的バックアップは見当たりません。では太子党はどうでしょう?単に二世の顔見知り集団というだけなのでしょうか。
私はそうは思いません。薄熙来が地元の重慶で展開した黒社会弾圧運キャンペーンを、わざわざ習近平が全力で支持表明したことがありましたが(過去記事参照)、同時に当時、重慶で展開されていた赤いキャンペーンも大絶賛。
彼ら太子党を1つにするのはこういう真っ赤な思想なのだろうと思います。彼らの親父は革命第一世代か第二世代。本気で信じていたかはともかく、少なくとも社会主義やそれに付随して展開された様々な赤いキャンペーンを良しとしていた人たちです。
その子供を繋げるのは、やはり赤い思想ではないかと思うのです。胡錦濤率いる中青団が青幇と呼ばれるのに対し、太子党はかつて紅幇と呼ばれた事もありましたが、最近その意味が段々と分かってきました(青幇、紅幇はいずれも清代から民国期に存在した秘密結社)。
薄熙来重慶市と留守児童が年越し図書贈呈、紅歌合唱(新華網、2011年1月2日)
留守児童とは両親のどちらか、あるいは2人とも他省に出稼ぎに出ていて、祖父母や親戚と暮らす農村部の子供を指す言葉で、彼らと薄熙来が餃子を食べたりなんやらかんやらと新年を一緒に迎えるといういわゆる人気取りイベントです。
ここで何故か合唱されたのは「雷鋒というお手本を学ぼう」。えー2011年になろうかという時期に、まだ雷鋒。雷鋒は倒れてきた電柱に頭をぶつけて烈士になった人、とだけ覚えておけば8割はオッケーです。もうすこし詳しく説明すると、彼の死後に毛沢東によって「雷鋒同志に学ぼう」キャンペーンが張られたのですが、これは1963年のこと。50年近くも無私の象徴と言えば、雷鋒。人材不足は否めません。
毎年3月5日は誕生日でも殉職した日でもなく、毛沢東がキャンペーンを始めたというだけなのですが、いまだにちょこちょこイベントがあります。なので薄熙来だけを責める訳にもいかない、と書こうとしましたが、上記記事を3ページ目まで読むと、歌ったのはこの1曲だけでなかったことが分かったのでやめました。
「祖国を歌う」
「団結こそは力なり」
「われわれは共産主義の後継者」
もう真っ赤っかじゃん。開催場所は解放碑だし。これこそが彼らのジャスティス、と言わんばかりの攻勢。頭が古いんではなく、これしかないんでしょうな。ちょうど毛沢東ブームが再燃しそうな世情ですし。
2011年はわが偉大な中国共産党の建党90周年です。我々は重慶が必ずや更に輝かしい業績を挙げると信じております。皆さん新年おめでとう!と薄熙来が叫ぶと、「新年おめでとう」「祖国に祝福を」「重慶に祝福を」との声があちこちから上がり、大きな流れとなって、更には海になったと、重慶日報 は締めくくっていますが、二世がこんなのばっかりなら温家宝が以前提起した政治改革が、一瞬で党の機関紙である人民日報に否定されるのもうなづけます。