中国ミステリの概況については過去記事「【中国本土ミステリの世界】中国は推理小説不毛の地じゃない!新たな才能たちの胎動を見よ」を参照してください。中国人の推理小説家・御手洗熊猫がある時こんなことを言ってきた。「中国で本格推理小説家として活動し続けるのは容易ではない」と。

小説家になるのは簡単だが、なり続けるのは難しいという話は日本でもよく聞く。「なるのは難しいが……」という言い方が正しかったかもしれない。だが、熊猫の言葉には日本とは異なる中国の事情が隠されていた。
台湾の事情
「小説家であり続けられるか」という問題に関しては、台湾人の推理小説家・冷言も、台湾の推理小説家・既然の長編推理小説『魔法妄想症』の後書きで見解を披露している。その『近年の台湾創作ミステリについての私見』という評論は、台湾の推理小説家が現在直面している台湾ミステリ業界の問題を分析している。以下その抄訳を載せる。
第1の原因は台湾の推理小説マーケットの小ささにある。推理小説家は傑作を生み出すまで無収入だから、発表する前に小説に登場するような死体になってしまう。
第2に読者層が薄く、作品を発表する場所もないので読者からの感想や反応もないから、作家は創作に対する熱意と原動力を失ってしまう。
第3に作家が社会人になったら一般的な生活というものをどうしても考えなくてはならず、ミステリを書くことを諦めてしまう。
第4の問題点として推理小説に対する本質的な認識不足や執筆能力の低さ、過去の名作の踏襲、新鮮味のないオリジナルトリックなどが挙げられるが、これは台湾ミステリではなくむしろ作家個人の問題と言える。
冷言は、台湾で推理小説家としてやっていくには、作家個人の力量に関わらず彼らを取り巻く環境が大きな障害となっていると指摘。ゆえに専業推理小説家は台 湾ではまだ生まれていないと述べている。この問題点は中国本土の推理小説家にも当てはまると熊猫は言う。
推理小説家・御手洗熊猫氏の家計簿
いまだ学生の身分である熊猫だが、これまで10作以上の本格推理小説を執筆しており、短編集も出版している。しかしこのまま推理小説家として生きていくためには、本格推理だけを書き続けても生きてはいけないと悲観的な見方をしている。台湾よりも本格推理小説が盛んではない中国本土で推理小説家という肩書きをつけるのであれば、社会派ミステリなど広義的な意味での推理小説も書かなくては食っていけないと、熊猫は不承不承に語った。
無名の作家が毎月のように登場する本土の推理小説雑誌『歳月・推理』には投稿小説の原稿料が明記されている。1000字で60元~100元(約 750~1250円)というのがその価格だ。人気があって質の良い作品を定期的に書く作家には1000字80~100元(約1000~1250円)が保証 されている。
ちなみに『歳月・推理』で2年以上もの間、作品を寄稿している御手洗熊猫の原稿料は1000字で80元(約1000円)である。彼が発表した 短編小説の文字数は、1本あたり1万~2万字程度。だから原稿料は800元~1600元(約1万~2万円)となる。1600元といえば、北京市ではレス トランで働く皿洗いの月給程度でしかない。
熊猫自身、今の身分が学生だから推理小説家として食っていけているのであり、彼と冷言が言うところの《読者層が薄い》本格推理小説を社会人になっても頑な に書き続けるのにはよほどの覚悟と自信が必要になる。傑作を生み出すまで明日の保障がなく、そればかりか渾身の傑作が死後にようやく名作となってしまいか ねない環境に置かれている中国本土の推理小説家は、非情なまでに生々しい現実生活と直面している。
あえて楽観的に考えてみた
今回このテーマで記事を書こうと思ったのも、熊猫から「日本のミステリ読者に俺らの窮状を伝えてくれ」と言われたので着手したのだ。だが私はこの現状を調 べていくうちに、中国人でも小説家でもない他者として敢えて楽観的な立場になって考えてみたくなった。
確かに収入や知名度など各方面で問題が解消されない今の状況のままでは、中国本土の推理小説家は誰も長続きすることはできず、黎明期から抜け出せないまま仇花として散っていくだろう。しかし裏を返せば 『○○推理小説賞』のような賞の選考を通る必要がない現在の掲載基準では、平均以上のレベルであれば誰でも雑誌デビューのチャンスがあり得るとも言えない だろうか。だからこそ御手洗熊猫のような学生小説家が早くから第一線で活躍できているのだ。
推理小説ファンをもっと増やそう
だが思い出作りにデビューするのならともかく、門戸が広いが道はとてつもなく狭く険しい推理小説界で一定以上の人気を得るには個人の努力では不可能だ。 ○○賞受賞作家という肩書きも与えられないままデビューした新人小説家は、将来への展望が見えない業界で空を切るような執筆活動を続ける。中国の推理小説 家にとって作家デビューは第一歩にしか過ぎない。そして推理小説業界は傑作を生み出す作家を輩出するよりまず、読者人口の獲得が焦眉の急なのである。まさに小説家個人ではどうにも解決できない難関だ。
いま『歳月・推理』は中国本土の推理小説界発展のために『中国語推理グランプリ』を創設し、全世界の中国人に向けて投稿を募っている。受賞者は名刺につけ る肩書きが1つ増えるし、推理小説界は賑わうしと、両者にとって悪くはないイベントだ。だが作家と雑誌だけのwinwin(古いか)で終わってしまえば、新しい読者層を開拓 できず、マイナージャンルの内輪盛り上がりになるだけだ。
グランプリを公募する今年1年いっぱいは読者層拡大に奔走するのが良策だろう。
参考資料
我對近幾年台灣創作推理的看法/冷言 《岁月·推理》2010年最新征稿启事Chinanewsの補足
以前、「
中国UFOバカ一代!東方の巨龍はサブカルでも長足の進歩」という記事でも触れましたが、中国では今やさまざまなサブカルが登場し発展しています。推理小説家、UFO研究家、ミュージシャン、それに漫画家なんかも入るでしょうか。一握りの大成功を収めた人々、あるいは別に安定した本業がある人は別にして、多くの人が収入という悩みを抱えながらも、おのれの道を突き進んでいます。
まだ歴史が浅くファンが少ない分野では、熊猫氏が語っているように中堅になってもなかなかお金にならない状況のようです。中国のGDPと同じようなハイペースで、種々のサブカル市場が発展していくのでしょうか。ぜひぜひそうなって欲しいと願いながら、今後に注目します。

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