あなたは幸福ですか?
いえいえ、新興宗教の勧誘ではありません。人間、大事なのはお金じゃない。幸福に生きられるかどうかなんです。ということを唐突に悟りまして。
といっても私が悟ったわけじゃありません。中国のえらい人たちが突然、幸福に目覚めたようでして……。

元樂蘋果年輪蛋糕 / 沒格★meg.dai
幸福フィーバー
中国のえらい人たちが突然、集団感染したのが「幸福フィーバー」。その直接の発端となったのは、2月26日に開催された温家宝首相とネットユーザーのオンライン交流会でしょう(参考過去記事「「影帝」の底力が炸裂!温家宝首相のオンライン交流を論評してみる」)。
快评:看温总理关于幸福定义的“四心论”(人民網、2011年2月27日)
近年、幸福は今の時代のキーワードとなっています。官僚は口を開けば「幸福」と口にしますし、庶民もまた幸福を望んでいます。では幸福はどこにあるのでしょうか?幸福は一連の誇大な数字ではありませんし、目のくらむような高層ビルでもありません。幸福は人の心の中にあるのです。幸福なのか、幸福じゃないのか。それは市民が決めることです。人々の生活を心地よく、満足させ、安心させ、未来に希望を持たせること。このようにして初めて、幸福を語ることに意味が生まれるのです。
で、これで終わればよかったものの、現在開催中の全国人民代表大会でさらなる燃料投下が。杜斌代表が「GDPだけを追い求めるのではなくて、人々の幸福指数を地方官僚評価システムに使うのってどうよ」と発言。これがまただだーっとメディアをにぎわしています。「両会」開催中ということもあり、中国のえらい人たちは今、北京に集まっています。で、メディアの前で「幸福、幸福、幸福~」と大合唱。
「GDPが減っても幸福指数があがる社会にしようぜ」
「もう幸福指数だけで官僚の出世を決めてしまえばよくね?」
「っていうか、うちの地域は年々、幸福指数が上昇してたわw サーセン」
で、幸福指数ってなに?
2011年3月6日付財新網によると、各地地方政府の活動報告及び第12期5カ年計画、さらには「両会」代表・委員の談話にまで「幸福指数」なる言葉がたびたび登場。そればりか、多くの地方政府は、「幸福指数」の向上こそが政策の重要な方向性だと述べるなど、実際に運用されそうな気配まででています。
が、問題は「幸福指数」の中身がさっぱり決まっていないこと。通常、世論調査で計られる「幸福指数」は、幸福ですかという問いに肯定的な回答を返す比率を計るものだが、現在の議論では「緑化率とかエコ。あと年金のカバー率とか組み込むのでどうよ?」「平均寿命とか教育水準を数値化すればよくね?」とあくまで数量化にこだわった話が主流です。
まあ、キモは官僚の評価に使えるかいなかなので、数量化できなければ何の意味もないわけですが。でも、数字で評価する方式にすると、結局、今のGDP至上主義と同じになってしまい、「あ、緑化面積が足りないから、どこか辺鄙な農村の畑に木でも植えてみるか」みたいなことになってしまうとの懸念も浮上しています。
「幸福指数」が政府のさらなる巨大化を招くどう考えてみても「幸福指数」がまともな制度になるとは思えないのですが、
民草の心まで政府がケアしてやろうという形を変えた社会主義の復活みたいな空気になっているのが恐ろしい。「経済至上主義からの脱却」を名目として、政府が統制する領域をさらに拡大化しようという動きにつながりそうです。
で、政府の独断とお手盛りが炸裂、汚職がさらにはびこる温床になるという……。今でも十分に政府の職権が大きいのに、これ以上でっかくするのはまずいんじゃないかなと思う次第です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B7%8F%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E9%87%8F
認識としてはこれの中国版ってことでいいんでしょうか?(笑)