中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年03月24日
何の権限も無い政治協商委員が奇抜な持論を展開したり、各民族の衣装をわざわざ身に着けて会議場に入る少数民族の方々が撮影されたり、美人通訳がクローズアップされたりと、うろ覚えでも確かに毎年同じ展開だなとの記憶はあります。
どこの暇人が検証したのか知りませんが、使われている写真もレイアウトも2010年と2011年も一緒じゃん、との指摘がなされています。ひどいのは、両年とも3月13日に閉幕した全国政治協商会議の模様を伝える、翌14日の一面。
■左:2010年 右:2011年
左上に毛沢東が揮毫した人民日報、右上は「全人代第4回会議主席団、第3回、第4回会議を開催呉邦国主催」。
その下が問題の「全国政協第11期4回会議閉幕」で、9人の常務委員の名前が序列どおりに記載され、「賈慶林主催」との副題。賈慶林を除いた常務委員の写真と賈慶林の写真が横並び、といった辺りまで丸々一緒。レイアウトもそのままです。
どこが違うかといえば、日付と委員の出席数、会議の回次のような数字くらいですね。記事本文は今年から第12期5カ年計画がスタートするので、それに触れていますが。
■2009年
ちなみに2009年もあまり変わりませんです。
人民日報が中国最大の発行部数を誇る新聞だった時代は、今では遠い昔の話。今では環球時報にその座を奪われ、党や政府の機関でしかお目にかかれません。普通の企業や工場では見た記憶が無いですねえ。
党や政府の機関はもちろん公費で購読しており、ヲチ以外なら私もつまらな過ぎて読まない政治文書でしかありません。
いや、党中央の機関紙ですし、政治宣伝用ですから当然なんですが、改めて読んでみると、当たり前な結論ながらテレビにおける新聞聯播と役割は同じなんですよね。
平時でも偉い人がどこそこに視察したとか、中国人民はこんなに幸せですとかが一面を埋め尽くすのです。人民日報に「党の喉と舌」以外の性質を求める方がおかしいのです。
私が気になったのは、レイアウトをいじらないのは、リスクヘッジのためだとの指摘がネット民からされている点です。
「温家室」などに代表されるように、誤字やレイアウトなどのミスが政治的に正しくないとジャッジされると、担当者だけでなく写植や校閲、編集長までにも累が及ぶそうです。今回のコピペは政治的なリスクを恐れる余り、安全策を取ったのだとの指摘に、なるほどと思いました。
様々な制約を受けた記事はどうしても似通ってくるのでしょう。賈慶林以外の常務委員と賈慶林の写真は必須ですし、協商会議のエンディングは大団円と相場が決まってます。
どうせ内容はほとんど同じだし、読まれようが読まれてなかろうがどうせ一定数の購読数はあるし、と記者が投げやりになるのも分かる気がします。
*当記事はブログ「中国という隣人」の許可を得て転載したものです。