中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年04月09日
環球時報は昨年から中国漁船特攻、劉暁波ノーベル賞受賞など注目を集める国際的な事件について、新華社や人民日報に代わり、公式見解を出す機関となっています。
新華社の英字版は所詮英字版ですから、公式見解にはなりません。中国語で書いたものこそが公式見解である、と言い切ると若干独りよがりな気もしますが、実際生きているのは外交部と環球時報の社説なのでして。
社説を書く論説委員に対しては、党中央や中央宣伝部の専門家から指導が入ったり、場合によっては原稿を渡されそのまま使わされる事もあるでしょう。それだけの大事件なはずです。
西側メディア批判に論点をすりかえた環球時報社説
しかし、読んでいてもさっぱり論点が見つかりません。
社説「誰が法の精神に違反しているのか」(2011/4/8 環球時報)
中国警察当局は7日、艾未未が「経済犯罪に関与した容疑」で取調べを受けていることを明かした。西側の一部メディアは中国警察当局の説明を疑い、自分達の論理を使って中国に影響力を与えようとしている。
艾未未の家族と大陸以外のメディアが警察当局に拘束された事実を知っているにもかかわらず、西側メディアは艾未未「失踪」と言い続けた。この言葉を使って中国政府が「誘拐犯」だと暗喩しているのだ。
現在、彼らは中国法廷が調査し断言した「経済犯罪に関与した容疑」は成立しないとして、この手の調査は「違法」だと言う。しかし、まぎれもなく彼らのやり方は基本的な法律の精神に深刻に対抗しており、「民主闘士」と法の上の「神聖にて犯すべからず」を作り出そうとしているのだ。
彼ら(民主闘士)が中国で政治対抗活動に従事すれば、彼らは「法の前では誰しも平等」を超えて、免責特権を持つのだ。
6日、米、独などは公式に「人権」問題で中国を公然と非難した。韓国の光州市市長も、公然と艾未未事件に干渉してきた。「中東革命」以来、欧米各国は対外干渉に「歯止めがかからなくなっている」。彼らが艾未未事件に対してやらに批評や指図をする様は、何故だかある時から歩を同じくするものだ。
艾未未の拘束は、結局中国で毎日ある多数の司法案件の1つであり、この審理の公平性は、中国の全ての案件が公平に執行される平均値とはかなり差がある。中国の法律は13億人の人口大国の基本秩序を保障し、民生を保障し、各種制度など人権促進の元となるバランスの取れた発展を保障し、アメリカ国際を購入できる経済秩序をも保障しているのだ。
艾未未事件に対する攻撃は、中国の法律に対する全面否定である。これは西側が一部の人を集めて中国最高法院のビルを焼き討ちするのと何ら変わりない。
中国の法律は国家の骨格である。西側が艾未未事件の審理に影響を及ぼそうとすれば、それはこの骨格に電動装置を取り付けるのと同じだ。リモコンは彼らの手の内にあり、中国を寄らば大樹の人形とするのだ。現在の世界を見ると、この手の人形はいずれも同じだった。
中国は安全である。でなければ、「自由な」艾未未は米国から中国には戻ってこられない。西側の外交官、ビジネスマンも中国を「発展に相応しい」場所とはし ない。しかし、安全な場所は「法を守る人間だけに安全」という特徴を持っている。「でたらめな」のを好む人間について言えば、安全は最低限となる。
艾未未は「経済犯罪容疑」で警察当局の調査を受けているが、それは罪状確定ではない。彼が有罪かは法廷で言い渡されるべきで、西側の外交や世論の圧力が彼の罪状確定に対するカードとなってはならない。
政治的異見活動家と呼ばれる人たちは、中国の法律そのものが違法だと考えている。だから彼らに言わせれば「全て間違い」となる。艾未未は中国人は「暗黒」「狂った」時代にいると言っていたが、これは大多数の中国人が持つ祖国に対する感覚ではない。
艾未未が経済上の犯罪であると確定されても、これは彼が「民主」とは無関係である。もし関係があると言うなら、それはどのような人も政治活動に携わり、尻をもっときれいにしておかなければならない。
もし彼の無罪が証明されても、彼の無条件釈放は政治を超越する。もしこれが関係しているなら、当局は今後、どのような有名人の容疑者を逮捕を慎重に、証拠を十分そろえなければならないだろう。
艾未未自身にしてみれば、これは彼個人の人生の大事件であり、彼個人への同情心から我々は彼がこのヤマを超えることを願っている。全社会の方向から見れば、我々はこれが中国の一大事件ではないと信じている。艾未未事件の結果がどうであれ、中国は前進する。社会もこの事件をすぐに忘れるだろう。