中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年04月24日
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「中国当局が僧院から僧侶たちをどこかに連れて行こうとしているらしい」という噂は予てより地元のチベット人たちの間に広まっていた。12日には、これを阻止しようと、門前に集まったチベット人たちが暴力と警察犬により排除させられた。昨日の情報によれば、今も僧院に続く道のそばには老人を中心に約200人のチベット人たちがこれを阻止しようと寝泊まりを続けているという。
いよいよ昨夜からこれが現実のものとなったようだ。当局は「愛国再教育」により目を付けた僧侶たちをどこか他の拘置所に送り、たっぷり「教育=拷問」を加えようとしていると思われる。「一体何のために!?」と問わずにはおれない。
この対立・緊張の高まりは直接的には僧プンツォの焼身自殺に始まる。僧プンツォがなぜそのような何よりも大事な自分の命を捧げてまで中国に抗議を行わなければならなかったのか?この元を辿れば、それは1951年に始まった中国によるチベット侵略に辿り着く。このンガバだけに話を限定しても、中国軍は1958年、この地でチベット人に対しジェノサイドを行った。近く2008年にもデモ隊に無差別発砲し妊婦、子どもを含め少なくとも10人を殺している。
元々チベット人は忍耐を知らない人々ではない。耐え続けている。また、それが押さえきれなくなったときにも、法王の教えに従い決して武器を取らず、平和的手段で問題を訴え続けている。
中国当局は今の所、「問題を解決するとは相手を恐怖で黙らせる事だ」という発想しか持ち合わせていない。弾圧の対象を挑発し、彼らが立ち上がれば、思うつぼ、軍隊や武装警官を動員できる。仕事が増え、予算が増える。何と言う構造、文化であろうか!
今夕もこれから、ダラムサラでは困窮の中になるキルティ僧院の僧侶たち、ンガバの市民たちへの連帯を示すためのキャンドル・ライト・ビジルと集会が行われる。
恐怖で黙らせるという手段はチベット人には通じない、彼らは勇敢な人々でもあるのだ。
*当記事は4/22付ブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。