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2011年04月26日
どんな民族や個人であれ、どんな文化や習俗であれ、自殺が意味するものは明らかだ。仏教は自分自身への暴力ととらえて自殺に反対している。チベット人は仏教を信仰しているから、自殺をタブーとする。中国共産党は「100万人の農奴」を解放し、チベットに幸福をもたらしたと言いふらしているが、早くも1962年にはパンチェン・ラマ10世が「七万言書」でチベット人の深い悲しみを共産党に伝えている。「衆生を飢えさせることなかれ!仏教を絶やすことなかれ!雪の国の人々を滅ぼすことなかれ!」
この50年来、立ち上がらざるを得なかった集団抗議や個人の抗議が何度も起き、チベット史上にないほど自殺者の数が増えている。特に1950年代末と文化大革命の期間に最もひどかったことが資料や証言から分かる。ラサで文革について調べていた時、あるお年寄りは1959年に僧侶4人の入水自殺を目撃した体験を教えてくれた。ラサ河の水は静かに流れ、真紅の袈裟がゆっくりと沈んでいったという。最も痛ましいのは1969年の事件だ。ラサ中学の貴族出身の教師テンジンが激しい批判に耐えられず、妻と娘3人を刺した後に自殺した。
08年3月以降、チベット全土でまた自殺のピークが出現した。たとえば3月23日、ラサでラモチェの僧侶トクメーが首つり自殺した。3月27日にはンガバ(四川省アバ県)でキルティ・ゴンパの僧侶ロブサン・ジンバが首をつり、ゴマン・ゴンパの75歳の老僧が自殺した。4月12日にはラサのメルド・グンカルで、ギャタ・ゴンパ(曲龍寺)の尼僧ロブサン・ツォモが首をつった。4月16日にはキルティ・ゴンパの盲目の僧侶トゥソンが自殺した。4月28日にはセルシュ(四川省石渠県)で、温和寺近くの村民直拉姆(ジラム?)が首をつった。10月18日にはチェンツァ(青海省尖扎県)の第2民族高校の17歳の生徒ルンドゥップが飛び降り自殺した……。これらは私が知ったわずかな事例に過ぎない。
仏教を信仰するチベット人が自殺に至ることからは、生きる苦痛が輪廻の苦しみよりも大きい事が分かる。
ちょうどキルティ・ゴンパのロブサン・ジンバが遺書で「共産党の圧迫の下で生活したくない。1日と言わず、1分でも嫌だ」書いているように。ルンドゥップは「私は自分の命によって、チベット人に自由がないという事実を全世界に訴えたい」と遺言した。しかし、ある漢人は私のブログのコメント欄で、自殺者は戒律を犯したのだから制裁を受けるべきだと書き、冷酷さと悪辣さで笑い者になった。衆生を救うためなら命を捨てても良い、神聖な信仰を守るためなら殉教しても良いとブッダは早くから説いている。教典には自殺した3人の羅漢について記載がある。
今年(09年)の2月27日、ロサ(チベット暦正月)3日目のンガバで、祈願法会が中止されたため、キルティ・ゴンパの24歳の僧侶タベーが雪山獅子旗とギャワ・リンポチェの写真を高く掲げ、ガソリンをしみ込ませた袈裟に火をつけた。チベットを覆う暗闇に抗議するためだ。本土のチベット人が自らを焼いて意思表示したのは初めてだろう。インドのデリーで1998年、中国に抗議するハンガー・ストライキ中に焼身自殺した亡命僧侶トゥプテン・ゴドゥップのように、チベットの歴史にタベーの名を刻む必要がある。違っているのは、タベーがその場で軍と警察の銃撃に遭ったことだ。08年3月以降に町とゴンパにあふれていた軍警は、炎に包まれたタベーに向けて弾丸を放った。
耳をつんざき、心を貫く銃声が消えないうちに、共産党は「チベット民主改革50年白書」を世界に公表した。亡命漢人作家の陳維健は白書について、「どう苦心して悪事をごまかし、自分をたたえたとしても、僧侶の焼身自殺こそ現在のチベットの人権状況を真に描き出した白書だ」「焼身自殺者に発砲すること、自殺者を殺すことは共産党の発明と言える。極めて罪深く、良心を完全に失った政権だけができる行為だ」と論評した。内外のチベット人が殉教し、命をささげる意義は、犠牲となった僧侶に亡命詩人が贈った詩にある通りだ。「長く静まり返っていた空を引き裂き100年の深い眠りにあった雪山を目覚めさせた」
2009年3月5日 北京にて
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チベット人に「勇者」と呼ばれるトゥプテン・ゴドゥップ氏の焼身自殺 1998年4月27日
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*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。