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2011年05月07日
マフィア撲滅キャンペーン
この「作秀」の意味合いに一番しっくりくるのが、薄熙来・重慶市党委書記がここ数年市内で推し進めている「打黑唱红(黒社会を取り締まり、革命歌を歌う)」活動でしょう。
薄書記は、中国人なら誰もが知っている中共八大元老の1人、薄一波・元国務院副総理(*wikipedia)の次男です。いわば薄熙来書記は典型的な「太子党(二世政治家)」ということになります。同書記は2007年11月に重慶市党委書記に就任、以来4年にわたり重慶市トップの座を守っています。
重慶市は「中央による統一的な任務配分の下」、2009年7月から約1年近くにわたり、「打黑除恶」活動と呼ばれるいわゆる犯罪組織撲滅活動を大々的に展開しました。これにより、黒社会と呼ばれるやくざの犯罪組織メンバーが摘発されただけでなく、これらの犯罪組織と結託していた政府高官も処分されました。
2010年5月時点で逮捕者は4800人近くに達しています。中でも有名なのは重慶市の文強元司法局長でしょう。同氏は黒社会と結託して犯罪を犯したとして2010年4月に死刑判決を受け、死刑を執行されています。
悪党に人権はない?証拠不十分の捜査と裁判
キャンペーンは大きな成果を上げた一方で、証拠不十分なまま逮捕し裁判するケースが続出しました。北京の弁護士で、黒社会(マフィア)メンバーの弁護を担当した李荘氏は証拠が偽造されたと主張。逆に逮捕されてしまう事件が起きましたが、まさに問題の典型ともいえます。同氏は一審で有罪判決を受けましたが、「偽証」の事実はないとして控訴。現在も裁判で争っています。
このように、「打黑」活動は一定の成果を挙げましたが、公正性や犯罪容疑者自身の人権が保てたとはお世辞にも言うことができないものであり、皆に強引だったとの印象を与えたのも事実です。ここに薄熙来書記自身のあせりも見えるのではないでしょうか。
21世紀の革命歌教育
マフィア撲滅と同時に薄書記が取り組んできたのが「唱红」活動です。「唱红歌、读经典、讲故事、传箴言(革命歌を歌い、革命の古典を読み、革命の物語を読み、金言を伝えよう)」と題する活動を大々的に推し進めているのです。
市内の学校では、「必ず教え、歌わなければならない歌」として27曲の「革命歌」が指定されています。さらに『毛沢東語録』の語句を携帯ショートメールで市民に送信するなどの活動も実施されています。これらの活動は右派、左派共に大きな反響を呼んでおり、賛成者は「薄熙来精神万歳」と賞賛する一方、反対者は「文革の遺物だ」と反発しているのです。
薄熙来の狙い
マフィア撲滅、革命歌教育運動推進の理由ですが、1つには、「次を見据えているから」と言えるでしょう。2012年10月には、中国共産党内で世代交代が行われます。習近平・現国家副主席が正式に中共中央総書記に任命され、同氏を最高指導者とする中国共産党の次期中共中央政治局常務委員会が誕生することになっています。
中国の最高意志決定機関である政治局常務委員会も刷新されますが、メンバー入りがほぼ確実なのは、李克強・現国務院副総理と習近平・副主席の2人のみ。残りの席を数人が取り合うという局面になっています。多くの専門家は、薄熙来書記が常務委員になる可能性が高いと分析していますが、まだ流動的な状況です。ライバルとしては、対米交渉などで数多くの実績を残してきた王岐山副総理などがおり、予断は許さない状況でしょう。
さらに、常務委員会入りできたとしても、党内の序列の問題があります。「末席はいやだ」という思いは誰にでもあるのではないでしょうか。また、薄熙来書記は二世政治家であり、同じ二世政治家である習近平氏と同時に政治局入りするとなれば、世間の風当たりも強くなってしまいます。だからこそ、薄熙来書記はここ数年、重慶市での実績作りに奔走してきたと言えます。
温家宝首相の薄熙来批判
しかし薄熙来書記のこのような行き過ぎたやり方に、温家宝総理はついに苦言を呈しました。4日付朝日新聞によれば、温家宝は4月23日に全国人民代表大会の元香港区代表の呉康民氏と会見。その際、「中国には現在2つの勢力がある。封建社会の遺物と文革の負の残滓だ」と述べたのです。
温家宝総理は薄熙来書記を名指しで批判したわけではありませんが、ここでいう「文革の負の残滓」が薄熙来書記の「打黑唱红」活動であることは明らかでしょう。ここからも、温家宝総理は薄熙来書記ら太子党とは距離を置く立場にいることが分かります。
温家宝総理のこれらの発言に、当人の薄熙来書記も敏感に反応しました。薄熙来書記はそれから約6日後の4月29日、香港や大陸メディア記者と「わざわざ」懇談し、「打黑唱红」活動について「パフォーマンスでやっているのではない」と記者らの憶測を否定しました(*中国新聞網の報道)。
薄熙来書記がどのように否定しようとも疑念は残ります。日本の政治家もそうなのですが、自分のためではなく「真に国民のために」やれるかどうか。ここが国民の信頼を勝ち取れる大きな分かれ目になるのでしょう。
*当記事はブログ「中国語翻訳者のつぶやき」の許可を得て転載したものです。