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2011年05月08日
BBCが伝えるベトナムHmong族の暴動
5月4日、BBC Vietnameseの報道。ディエンビエン省MuongNhe県でHmong族の暴動が発生した。事件は4月30日に始まり、規模は最大で5000人にも及んだとも伝えられる。元MuongNhe県書記は電話インタビューに答え、「民族団結を壊す活動」を非難しつつも、数千人規模の暴動があったことを認めた。
Hmong族の暴動参加者は一部地方幹部を拘束して、信仰の自由と「独立王国」建設を要求。信仰の具体的な内容は不明だが、彼らは「約束の地に超然たるものが現れる」と考えている。
Hmong族、Muonh Nhe県とは?
Muong Nhe県は人口5万5000人。ディエンビエン省都のディエンビエン市から200キロに位置する。同地は3万人ほどHmong族が住み、多くは敬虔なプロテスタントだという。
(訳注:ベトナムのキリスト教徒はカトリックが多数を占め、その多くは政府と友好的な関係にある。一方、プロテスタントは海外反政府勢力とのつながりを疑われている、政府にとっては「センシティブ」な存在)
(訳注:Hmong族:日本語の「モン族」、中国の「苗族」とと同系統にある。ベトナム北西部に多く居住する少数民族。中国語での「苗」はベトナム語でいう「Meo」ですが、同民族への蔑称として使われてきたことから、ベトナム語ではHmongと呼ばれています。)
*北西部地域少数民族地域の住居。北西部は経済的にはベトナムで最も貧しい地域とされている。
錯綜する情報、制限されるメディア
死者が出たという情報もあり、現地のアメリカ大使館も情報を確認中。規模としては04年中部高原暴動以来の規模だという。6日もHmong族住民が集まるなど、緊張は続いている。米ワシントンの治安・開発・人権などの調査団体、センター・フォー・パブリック・ポリシー・アナリシス(CPPA)は28人が死亡したと伝えているが、BBCで確認できていない。
ベトナム・メディアは事件について沈黙を保ってきたが、木曜日(5日)にベトナム通信社が報道した。ディエンビエン省政府官房高官のコメントを引用する形で、「純朴で信じやすい民につけこみ、悪い情報を流して騙し、秩序を壊そうとする企みだ」と糾弾している。
記者の現地取材は見られず、関係者によれば「Muong Nheは今はほぼ出入禁止」だという。また、周辺地方にもHmong族の移動を禁じるよう命令が出ている。地方政府に対しては、幹部を現地に向かわせるよう指令されている。また、すでに軍も現地に向かっているという。
(訳注:NNAの記事にコメントしたオーストラリアのベトナム専門家、カール・セイヤー氏は、「ベトナムには、地方の民兵や軍、機動隊など、各種の治安維持部隊がある。軍が派遣されるのは異例だ」と発言)。
センシティブなタイミングと今後の行方
5月7日は「ディエンビエンフーの戦い」の戦勝記念日で、毎年、記念式典が行われる。また、5月22日には国会議員選挙が控えており、その意味でも政治的に微妙な時期でもある。外国メディアは現場に近づくことは許されていない。
広報担当のベトナム高官は外国メディアに対して、「情勢は安定している。ただ、天気も悪く、また戦勝記念日イベントもあるため、現場には行ける時期ではない」と外国メディアに説明した。
*ディエンビエンフーの戦いの現場である「A1の丘」
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【考えたこと】
Hmong族の歴史、最貧困地域であるベトナム北西部の社会条件、キン族(ベトナムの多数民族)の北西部地域への開拓移民、ベトナム戦争とHmong族などなど、この事件の背景はどれ一つとっても本が書けそうなくらい深いものです。
ただ、今回の件でまず気になったのは、上記情報がほとんど日本語メディアで報じられていないこと。唯一、NNAのみが報道しています。ベトナムのメディア規制はかなりしっかりしているので、ベトナム・メディアがほとんど報じていないことが、ある程度効果を上げていると見ることもできるかもしれません。
まだ情報が錯綜している、事実確認ができていないなどの問題もあるかもしれませんが、ベトナム・メディアが取り上げない(取り上げられない)ニュースの報道で知られるBBC Vietnameseがこれだけ大きく取り上げ、数日にわたり報道しているのに、日本メディアに反応が非常に少ないと驚きました。もし、中国でこうした暴動が起きていたら、未確認情報であっても相当量報道されていたんでしょうね。まあ、中国とベトナム、その日本との距離を考えれば当然かもしれませんが。
ベトナムの少数民族問題といえば、従来、中部高原地域が焦点とされてきました(記事「中国がベトナムから学ぶこと<2>=ベトナム国会、政治指導者、メディアを考える―北京で考えたこと」参照)。今回事件が起きた北西部も少数民族が多い地域ですが、貧困という経済問題は課題となってきましたが、政治問題は表面化していませんでした。
北西部は中国、ラオスに国境を接する地域で、ベトナム戦争時代からの軍事的な要衝。ゆえにキン族が早くから移住してきました(国家の要請に応じた形の移住が多かった模様)。北西部でも、都市はキン族が多数派となっている場所が多いのです。これは中国・西部地域における漢族と少数民族にも見られるものですが、こうした人口モザイク状態には、やはりどこか潜在的な緊張関係があったのでしょう。
本エントリーを執筆した7日は、上述したとおり「ディエンビエンフーの戦い」の戦勝記念日。暴動の情報が少ない中、事態がどのように推移しているか知ることは難しいのですが、予断を許さないことは確かでしょう。遠く離れた地に住む身ではありますが、引続き追って行こうと考えています。
*当記事はブログ「北京で考えたこと」の許可を得て転載したものです。