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「ヒョウ皮、トラ皮の民族衣装は悪習だ」ダライ・ラマの言葉に従ったチベット人の信仰心―チベットNOW

2011年05月20日

ウーセルさんの記事「今年、まだヒョウやトラの毛皮を着る者はいるか?」

いつもウーセルさんのブログを中心に中国語訳を行って下さっている雲南太郎さんが、以前に紹介した記事「漢民族が演じるニセ・チベット人=毛皮の民族衣装が「踏み絵」に」の本編(のようなもの)をウーセルさんの過去のブログの中から探し当て翻訳して下さった。原文は2007年1月のウーセルさんの記事。

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*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。

今年、まだヒョウやトラの毛皮を着る者はいるか?(今年有谁还穿豹皮虎衣?)

翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん

2カ月前、カム地方南部を旅行し、寒くなってきた県庁所在地や農村、遊牧地を通った。現地のチベット人の服装を特に観察、調査し、次のような結論を得た。今のチベットでは、希少動物の毛皮を使った民族衣装を着るかどうかという問題は、すでにある種の意味深長なシンボルになっている。より正確に言えば、このシンボルは過去にあった財産の誇示や見栄とは関係がないし、自分たちが美しいと思うものへの盲目的な追求とも関係が無い。この問題は、いわゆる政治的な立場につながっているのだ。

2006年初頭、インドであったカーラチャクラ灌頂でのことだ。希少動物の毛皮や大量のアクセサリーを身に着けるチベット人の悪習について、俗的で文化的な礼節に欠け、財産を無駄遣いするだけでなく、国際社会の唱える環境・野生動物保護の主張に反するもの、仏教を信仰するチベット人のイメージを損ねていると、ダライ・ラマは批判した。この批判はチベット本土に強い衝撃を与え、アムドとカム、ウツァンなどのチベット人は高価なヒョウやトラの毛皮、キツネの帽子などを次々と燃やした。

激怒した当局はチベット民衆の自発的な焼却行為を「分裂集団」に操られたものだと総括し、焼却運動を強引に禁じ、発起人を逮捕した。同時に大小の会合を開き、ヒョウやトラの毛皮を身に着けるようチベット人に求め、毛皮は党の政策が幸福な暮らしをもたらした証明なのだと公言した。道理から言えば、中国政府も環境と野生動物の保護を呼びかけているのだから、チベット民衆の環境意識の目覚めを賞賛し、民心と国際的な潮流に従う理性と態度を当然示すべきだ。しかし、遺憾なことに彼らの度量はかくも小さく、でたらめなやり方を選んでしまった。

毛皮を燃やす行為は確かに環境保護だけから出たのではない。より重要なのは、精神的な指導者ダライ・ラマに対しチベット民衆が深い信仰を表明したことだ。別々の場所でチベット人が本音を口にするのを何度も聞いた。

「ギャワ・リンポチェの話さえ聞かないなら、誰の話を聞くっていうんだ?」

当局を怒らせた原因もまさにここにある。半世紀以上にわたってチベット各地を強硬に統治しながら、いまだ民心を屈服させていない。一方、何の武器も持たない遠くの老人は言葉を少し発するだけで大反響を巻き起こせる。「(毛皮焼却は)ダライ・ラマへの信服をはっきりと示している。 ダライ・ラマが一声命じれば従わないチベット人はいない」と外国メディアが報道するのも無理はない。

焼却が「分裂行為」になった以上、チベットの多くの民衆は今後ヒョウやトラの毛皮を二度と身に着けないというやり方で自らの態度を表明する。チベット各地の民間のお祭りではもうめったに見かけなくなっているが、チベット人官吏は逆に各種の公の場所でヒョウやトラの毛皮を着用し誇示している。これは自分の財産を見せびらかすためでもなく、美しさを追求するためでもなく、反分裂の決意と党への忠誠心を示し、引き続き出世しようという個人的な目的のためだ。そこで彼は民心や世の潮流からかけ離れた1頭のトラ、ヒョウに惜しみなく扮する。これは今日のチベットの一大風景と言ってよい。

2007年1月24日
(RFA特約評論)
*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。

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