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2011年05月25日
法王引退と憲章改正への流れ
法王は今年3月10日の蜂起記念日に正式に「引退表明」し、チベット亡命政府議会に承認を要請した。当初、議会はほぼ全会一致で拒否したが、法王は引退を意志を再度表明した。
「私の引退の意思は堅い。熟考の末であり、長期的には必ずチベットのためになる。」「完全民主化は私の長年の夢。民主化を唱えながら、選挙で選ばれていない私が居座り続けるのは偽善的だ。人に強制されず、自ら喜んで身を引くのだ。だからといって、これは決してチベットに対する責任を放棄するということではない。私、ダライ・ラマはチベット人として最後の一息までチベットの自由のために責任を果たす」と発言している。
チベット亡命政府憲章の意義
議会は再度審議し、今度は全会一致で法王の引退を承認した。引退にともないチベット憲章を改正するための小委員会が設置され、憲章修正案が作成された。今回の「全体会議」ではこの修正案をたたき台として議論が行われる。
憲章は亡命チベット人社会というたかが15万人の集団の憲章と見る事もできよう。だが、国際法的に見ても明らかに侵略された政府が、外国に逃れた後に、元の国を代表し、将来のために憲章(憲法)を作ることができたという意味で画期的なものだ。議員も、そして会議に参加したチベットの知識人たちも本気で議論し、法王も世界の見本になるような民主的憲法が出来上がることを期待されている。
政府指導者から象徴へ=立憲君主制への移行が有力
憲章改正にあたっての論点は、第一に「国家元首」と「政府の長」を分けるべきかいなかについて。従来はともにダライ・ラマがその任を果たしてきた。今後、立憲君主制に移行するのかどうか。つまり、ダライ・ラマ法王を「国家元首」として、象徴的存在として残ってもらうべきかを決定することになるだろう。
イギリスを始めヨーロッパの多くの国では、国王を「国家元首」と定めている。例えば、コモンウエルズ54カ国のうち、カナダやオーストラリアなど16の国々は、今もなおエリザベス女王を国家元首に頂いている。日本でも、大日本帝国憲法は天皇を国家元首と定めている。現行憲法では明白な規定はないものの、日本の象徴として元首としての役割を果たしているため、元首と呼んで差し支えないとの意見もある。
もっとも、国家元首にどのような権限を付与するかは国ごとに大きな違いがある。法王が「チベットの国家元首」となることは有力と見られるが、具体的にどのような権限が付与されるかが第二の論点となろう。そして、この国家元首の地位が次代のダライ・ラマ、すなわち15世にも引き継がれるのかどうかも論点となる。
チベット亡命政府の名称変更も提案
もう一つの問題は、憲章の及ぶ範囲となろう。改正案では、チベット亡命政府の名称変更も提案されている。従来の「亡命チベット政府」から、亡命チベット人政府組織」に変更することが提起されている。
従来は「中央チベット政府」とも呼ばれてきたように、亡命前のチベット政府を引き継いだ組織、チベット全土を代表する政府という意味だった。名称変更により、文字通りの亡命チベット人だけの政府になってしまうのでは、それではただのNGOに等しい、中国の思うつぼではないかとの懸念する人が多い。名称変更の理由についてはまだ聞かない。わざわざ論議のネタを提供しただけのように思えるプランだ。
改正を急いではならない
今回の憲章改正について、「結論を急ぎすぎている」「今議会で決定する必要はない」「もっと時間をかけて、将来まで長く通用する憲章を作成すべきだ」との意見が、多くの専門家から寄せられている。はっきり言うと、全体会議に出席している各界代表には、法律の素人も少なくない。もっと多くの世界の専門家を交えて議論すべき問題であろう。
*当記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の許可を得て転載したものです。