科学者と政治家の間で-「院士」とは誰か、「中国工程院」とは何か皆さんは「院士」という言葉を聞いたことがありますか?
中国人の偉い科学者の中にはこの「院士」という肩書きを持つ方がいて、非常に光栄なことのように扱われている。そのこと自体は良く耳にしていました。私は今、ある中国の研究機関と一緒に仕事をしているのですが、「院士って何だ?院士が所属しているらしい「
中国工程院」とは何だ?」と言われると、確かに良くわかっておらず……。
*
南方週末の報道。
その疑問に、ピリ辛の批評も加えて応えてくれる記事が
南方週末6月2日号(最近南方週末ネタが多いですね)にありましたので、自らの勉強もこめてご紹介します。どうやらこの院士たちも中国政治環境と切っても切れない関係にありそうです……。
*当記事はブログ「北京で考えたこと」の許可を得て転載したものです。
名士クラブの「院士」たち
上海市副市長、農業部国家首席獣医師、中国石油化学集団董事長……。このそうそうたる顔ぶれは2011年の院士候補である。「中国工程院院士は科学研究者でなければならず、政府や企業での地位とは関係ない」とされているのに、これほどの政治的な大物が含まれているのは何故だろうか?
1949年、政務院に帰属する政府機関として中国科学院が設立された。その後、国務院直属の事業単位(訳注:日本で言う「独立行政法人」のあんまり独立していない版、各種行政サービス実施を担当)となった。初代院長は大学者の郭沫若だったが、副院長となった陳伯達にはさしてアカデミックな経歴はなかった。1954年から始まった「学部委員」制度が今の院士の前身となった。
学部委員は内部推薦、評価(=「協商」訳注:相談と言った語感でしょうか)を経て、最後に共産党中央(主に中央宣伝部)の認可を得ることで、任命される。その際、学術的な基準のほかに政治的な基準もあった。つまり「社会主義を擁護し、共産党を擁護する」という条件が科されていた。
結局、党幹部、行政官僚が学部委員となる例は少なくなかった。1993年、中国科学院から独立し、中国工程院が設立され、これまでに739人の院士が任命されたが、政界、財界出身者は多い。現在の院士には共産党第17期中央委員会委員2名、補欠委員5名、また第11期全国人民代表大会代表26名(訳注:中国のネットの壁であるGFW発明者と言われる方浜興の名も)、第11期政治協商会議代表43名などが名を連ねる。
中国工程院とは何か?
中国工程院は別に研究機関や学部を持っているわけではない。あえて言えば学会のような組織であり、栄誉ある学術諮問機関である。国務院直属の事業単位として、その前身かつ母体ともいえる中国科学院と並びたつ存在だ。この「両院」の地位はある意味、科学技術部よりも高い。
「科学技術部は部クラス(訳注:「部」は日本の「省」にあたる)だが、両院の院長は引退後全人代常務委員会副委員長や政治協商会議副主席など、より高い国家レベルの職に就く」と院士制度を研究する顧海民・中国人民大学教授は言う。
地方が争って奪い合う院士、その特権とは?
院士の称号は永久の栄誉であり、退職しても失われることはない。中国政界に詳しい関係者曰く、「両院(中国科学院、工程院)には部クラスの幹部が一番多い」と冗談を言う。院士が副部長、副省長クラスの待遇を受けられることは公然の事実であり、元々そのレベルの地位についていた高官が院士となった場合には、更に上の格として扱われる。
こうした影響力を持つ院士は北京にこそ沢山いるものの、地方では貴重な人材となる。各地方は給与や住居を提供することで、自分の地方に住んで欲しいとオファーする院士獲得競争を繰り広げている。
更に一風変わった奇策まで登場している。瀋陽市では院士に対して空港や電車の駅でVIP待遇を命じた。湖南省政府は以前、院士の車に特別の「湘O」ナンバーを割り振り、警察車輌と同待遇(!)にしていた。
院士の数は加速度的に増えており、1994年から2001年の7年間で総数は6.4倍となった。今年の新院士選出審査では最大60人までと規定されているが、先日公表された院士候補は485人に上った。今後2回の審査を経て院士が選出されることになる。地方、学術機関、企業らによる院士獲得ゲームが繰り広げられるなか、ちまたでは「院士を選出させるためにまたどれだけの経費が使われるか……」と嘆く声も。
もっとも院士獲得のためにそれだけのコストをかける背景には、「栄誉」以上に現実的なメリットがありそうだ。例えば、全国レベルの科学技術プロジェクトを獲得する審査には、申請する前に院士2名以上、教育部科学技術委員学部委員5名の推薦が必要だからだ。
【考えたこと】現在一緒に仕事をしている研究機関でも、所長、副所長はやはり政治家として振舞わなければいけない状況です。それは日本でも多かれ少なかれ一緒でしょう。しかし、中国では研究機関トップの政治家化、官僚化が「制度化」してしまったと言えます。その象徴として院士が取り上げられた記事でした。ています。院士というものとその成り立ちについての文章は勉強になりました。
もちろん、本当に研究一本で誰もが認めるすごい業績をあげて、院士になった方も多いのでしょう。そういう功績を多種多様な「称号」と共に賞賛するのは、中国の得意技だと思います。それぞれの会社や行政機関、研究機関でも、独自の称号を作って表彰し、ちょっとしたボーナスなどを与えるというケースはよく見られます。こうした信賞必罰は中国社会では日本よりも馴染んでいる感じがしま
す。
ですが、そういう意図で始まったであろう院士制度が、それにやたらと特権や特別待遇が付くことで、当初の意味合いからずれてきてしまったのかもしれません。ちなみに院士には外国人枠もあり、日本人も3名選ばれています(
外国籍院士リストはこちら)。一見してアメリカ人が断トツ一位のようですね。
また、「中国科学院と並んでの両院」という言い方にもあるとおり、自然科学を重んじる中国の伝統的なアカデミック観も院士制度には色濃く残ります。中国社会科学院が1977年に中国科学院から独立する以前も、それ以降も、院士は全てが自然科学研究者への称号ということで、(どちらかと言うと自分がそちらよりである)社会科学者にはそのような名誉の機会が無いかと思うのは残念。
中国の指導者もこれまではほとんどが技術者・技術系バックグラウンドばかりでしたが、最近は経済や法律など社会科学系を学んできた人も増えてきています。それによっては変わるかな、それとも社会科学者は少し前に別途報道(
南方週末ではこちらなど)でも取り上げられた国務院総理「参事」という経路で政策に影響を与えているから良いのか……。
中国では科学者が政治家へ、政治家が科学者へと変わっていくと言うべきか。それとも、やはり政治が学術界も含めて全体を常に覆っていると言うべきか。ともあれ、両者の関係は密接なようです。
*補足(Chinanews)『南方週末』が取り上げた「工程院」とは、いわゆる「アカデミー」のこと。
フランス学士院が有名ですが、設置されている国のほうが多いのではないでしょうか。日本では
日本学士院が相当します。
中国のアカデミーの歴史は1928年、民国時期に設立された中央研究院にさかのぼります。その後、1948年に中国科学院が設立されました。1977年に中国社会科学院が独立、1993年に中国工程院が独立することで、中国科学院(理系)、中国工程院(工学系)、中国社会科学院(文系)という3つの院が鼎立することに。
なお、院士は当初、「学部委員」という肩書きでした。科学院は設立から1957年まで新たな学部委員が選ばれていましたが、その後長期にわたり新委員の選抜がストップ。1980年から選抜が再開し、1994年に院士と肩書きが変わっています。工程院は1994年より院士選抜を開始。
文系はかつて中国社会科学院哲学研究所に所属していましたが、1977年の中国社会科学院独立後は独自のアカデミー会員選抜はなし。2006年より、旧来の「学部委員」という名称でアカデミー会員の選抜がスタートしました。
最高の栄誉であるアカデミーという位置づけなのですが、その歴史は意外と浅かったりします。
*当記事はブログ「北京で考えたこと」の許可を得て転載したものです。