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2011年06月16日
中国増城市の暴動で治安警察が厳戒態勢―12日夜にも発生(WSJ日本版、2011年6月14日 )
出稼ぎ労働者による暴動が起きた中国広東省広州近郊の増城市では、週明け13日には武装警官が街を巡回するなど、当局は厳戒態勢で事態の鎮静化に努めた。学校や政府施設は閉鎖され、住民には夜間には外出しないよう警告が出されているという。地元当局者によれば、死者は報告されていないが、詳細は明らかになっていない。
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増城市は広州市中心部から車で約1時間といった距離でしょうか。「市」という名前がついていますが、県と同レベルの県級市です。
■誰が妊婦を殴ったのか?―事件の経緯
事件発生当日に広州市から武装警察は来るわ装甲車は投入されるわとかなり本気の布陣であります。
新塘鎮大敦村で集団事件事件に有効な措置(広州日報、2011年6月12日)
事件翌々日の『広州日報』によると、露店はスーパーの出入り口付近に出店しており、保安員と言い争いになったものの、鎮政府の指導者が間に入って両者は和解。ところが妊婦とその夫を治療のため救急車に乗せたところからおかしくなってきて、現場で無関係の人間の悪意ある妨害が人を呼び、周囲にあった車両を破壊したというストーリーがこしらえられています。
目撃者によると、どうやら保安員ではなく村の治安部隊が露店主に「保護費」を揺すろうとして口論に発展し、治安部隊が妊婦を殴ったというのが真相で、長年出稼ぎに対して続いていた揺すりのしっぺ返しがここで一気に来た感じです。
■四川出稼ぎ労働者と現地広東人の地域対立に
現地のジーンズ工場には出稼ぎに来ている四川人が多く、「(我々が)殴ったのはよそ者だ」という保安員の発言が燃料投下となりました。周辺にいた出稼ぎ四川人が保安員を襲うという地域対決の様相も見せています。広東省では、6日にも潮州市で未払い賃金を払うよう求めた労働者の手足が経営者側に切断され、暴動が起きたばかり。おっと、これも四川人でした。
同鎮の発展は四川省出身者など出稼ぎに寄る所が大きいものの、現地広東人との賃金格差は大きく、この辺りも今回の騒動でまとめて爆発したのではないかと思われます。現地は解放軍が出動して四川人と思われる出稼ぎ労働者を大量に逮捕し(太陽報によると150人)、表面上は鎮圧しました。ですが、武装警察が巡回しているなど空気張り詰めたまま、破壊された車両や銀行などもそのまま。また、村の入り口にも警備が配置され、村民以外は入れないようになっています。
現在少なくとも武装警察1500人、公安5000人が村に投入されているもよう。さらに広州市の別の区や隣接する東莞市からも増員が派遣される予定で、「事態は収拾した」とは言いつつも警戒を緩めるつもりはなさそうです。実際、13日深夜にもデモが起きており、まだまだ油断できない局面です。
■懐柔策か、それとも強硬策か―中共トップの判断
さて、中国共産党中央政治局は、各地で連続して発生している爆発事件の対応を協議する緊急拡大会議を開催しました。
孟建柱が全ての冤罪事件の見直しを提案(博訊、2011年6月14日)
席上、孟建柱(中央政法委副書記)は、司法改革と土地収用の見直しこそが現在起きている問題を解決するのだと訴え、温家宝、習近平、李克強、王岐山の賛同を取り付けています。その辺りが連続爆破事件の動機だと考えているわけですね。
一方、王楽泉(中央政法委副書記)と王勝俊(最高法院院長)らの「強硬な手段で犯罪者を打つ」という提案には、治安維持を担当する政法部門トップの周永康も賛成。周は6月11日に十大傑出警官に接見した際、「党、国家、人民、法律に忠実であれ」と発言しているのですが、元々は「祖国、人民、法律に忠実であれ」という、江沢民が1990年代に唱えた司法の原則がベース。周永康はまず党中央への服従を第一に置いているわけです。
意見は分かれたものの、強攻策が胡錦濤の「党の事業が至上」という方針と一致し、メディアを使った「参加者は厳罰」キャンペーンとして外部に現れました。
社説「重大事件を作り出した者は法による厳罰を」(環球時報、2011年6月13日)
張軍最高法副院長「国家と社会を敵視する犯罪者は死刑」(人民日報、2011年6月14日)
これらは頻発する爆破テロや増城市の事件を受けて出てきたものですが、今後起こる同様の事件へ向けた警告でもあります。内モンゴルの時は援助というアメで釣る素振りを見せる余裕もありましたが、今回はいきなり鞭を使うという強攻策に出ています。現地では、扇動者の密告に奨励金を出すなど余念がありません。
■動きを見せない広東省トップ
さて、広東省を預かる汪洋党委書記は、先週から訪問中のドイツで最近流行りの「社会管理」、つまり治安維持をお勉強中。現地でまだ何らメッセージを出しておらず、帰国命令などは出ていない所を見ると、あるいは主導権が既に党中央に移っていて用無しなのでしょうか。
なお、2009年7月のウイグル自治区で暴動が起きた時は当時書記だった王楽泉が、昨年11月に発生した上海市の大火事では愈正声が、いずれも矢面に出るのが遅れて批判を受けています。
基本的には事件や事故が起きた場合、地元の指導者はとりあえず現地に急行するのがベターなのですが、今回は外遊中の汪洋以下、広州市首脳もまだ現地入りしていないとか。何故なんでしょう。広州市長はドラゴンボートの大会に出ていた情報もあるので、事件の対応に追われている訳ではなさそうですけど。
ビッグイベントが立て続けに開催されていますが、来年の党大会で生き残るのは誰なのか。暴動の裏で、党人事も動き出しました。
*当記事はブログ「中国という隣人」の許可を得て転載したものです。