緩和された安全基準と国進民退-「世界最低の生乳基準」を巡って止まるところを知らない中国の食品安全を巡る話題。出てくるものが多いので追っているだけでも追いきれないくらい。ただ今回は自分もよく飲む牛乳の話題ということで目を留めてみると、ネット上の反応、国内外の基準の違い、そして更に深読みすると「国進民退」の問題まで、となかなか奥が深そう。そこで、今回は生乳基準改定を巡る騒動を取りあげたいと思います。
(中国の食品安全基準に関しては、以前エントリーした「【中国食品】中国の安全基準と国際基準の違い=改訂が進まない理由―北京で考えたこと」もご参照下さい。)
*安全、「有機」を売りにして、国内乳業各社の競争は激しさを増しています。写真は国内大手・伊利の商品。
*当記事はブログ「北京で考えたこと」の許可を得て転載したものです。
■「緩和された」生乳安全基準・・・「世界最低の安全基準」を巡る議論
事の発端は中国において改定され、この6月1日から施行され始めた新しい「生乳安全基準」(牛乳ではなくその原料である生乳です)。
基準値自体は2010年4月に既に衛生部が発表していたのですが、それまでの基準より1ミリリットルあたりの細菌数を50万個から200万個を上限に、タンパク質含量は2.95%から2.80%を下限にそれぞれ「緩和」されています(この点についてはメラミン混入がタンパク質含有量をごまかすためであったことをご記憶の方も多いと思います)。
細菌数に関してはアメリカ、EUなどで10万個以下、タンパク質含有量はデンマーク、ニュージーランドなどの酪農地域で3%以上と、国際的な基準からは離れる方向で改定されています(南方週末)。爆弾発言で「大砲」とあだ名される広州乳業協会理事長が「この新基準は世界最低の基準だ」と発言し、それも一つのきっかけとして大きな論争が巻き起こります。
多くのメディアがこの「世界最低の安全基準」を取り上げ、ネット上でも話題となる中、事の進展に驚いたのか、衛生部や農業部は専門家による解説と安全性を説明する文章を出し、「これは生乳の安全基準であって、消費者はこれを直接飲むわけじゃない」などと追加的な説明を加えています。ここ数日のニュースでは牛乳の「ランク別」基準策定に着手したとのニュースも出ていますが、これもいかにも「っていうかかそれどうだろ?」という感じがする制度設計に聞こえます。
■「牛乳飲めなくなるよりマシでしょ?」に怒るネット民
そんな中、内モンゴル乳業協会常務理事の一言がネットユーザーの怒りを集めました。京華時報のインタビューに次のような回答。
メラミン事件が起きたのは以前の牛乳安全基準が厳し過ぎたから。基準を少し緩めても飲める牛乳がなくなっちゃうよりは良いでしょう。今、中国の牛乳を国外の基準にさらしたら8割は捨てなきゃいけない。7割の乳牛農家は牛を殺さなきゃいけない。そしたら国内牛乳業界はおしまいだ。金持ちは海外の牛乳飲めるけど、一般人は飲める牛乳がなくなる。
これがマイクロブログに掲載され大変な騒ぎに。
京華時報のインタビュー記事も、「安全基準より、皆が牛乳を飲めることの方が大事」という挑発的、衝撃的な見出しです。

*何故かこの方は似顔絵付きで多く出回っています。写真が出ると身の安全が危ないから!?
このツイートはこの文章を書いている段階でリツイート47125回、2万件近くのコメントを集める「人気リツイート」ランキングトップに立っています(ただ、28日午後からはランキング「対象外」となり始めています。ランキング対象除外は、当局が「これ以上広がらないように」と抑えにかかるファーストステップと思われます)。コメントの大部分はこのツイートをボコボコに攻撃、多くは「そんな牛乳なら飲めなくて結構!」との怒りのコメントです。
6月28日付新京報では「牛乳の安全基準より、皆が牛乳を飲めることの方が大事、という意見に賛成か?」(この質問もどうかと思いますが…)というアンケート調査を行い、90.4%が反対(まあそりゃそうでしょうね)。自分の北京の友人も「北京の日本人はどんな牛乳飲んでいるの?」と最近突然聞いてきましたが、人々の不安と不満はかなり高まっているようです。
■景にある食品業界での「国進民退」
この問題を「あぁ、また例の中国の食品問題ね」と片付ける前に、もう少しその背景も含めて考えてみました。今回の一連の事件を評論する多くの論調でも「消費者利益そっちのけで、そんなことまでして国内産業を守ってどうするんだ!政府はやっぱり市場の役割を信頼していない!」という声が聞かれます。
少し前に
は農業部官僚がある番組の取材で「外国産ミルクが国内市場を脅かして暴利を得ている」として、これも多くの消費者側の「じゃあ、しっかりした国産ミルク作れ!」というブーイングを呼びました。政府の過剰な保護姿勢を示すエピソードの一つです。
(ソース:
中国網の報道。)
そういった政府の存在がよりプレイアップされたのは、食品関連国有企業最大の中糧集団が中国乳業最大手の蒙牛集団の最大株主になった、つまり「中粮吃蒙牛」(中糧が蒙牛を食べちゃった)という現象です。多くの異論が出る中で、例えば
南方週末の論評では「既に中糧のラベルはスーパーのそこかしこにある。不動産業までやっている。これが「国有企業」が真にやるべきことなのか!」と論じています。
このような最近見られる国有企業の伸張ぶりを中国では「国進民退」と呼んでいます(
以前のブログエントリーも軽くご参照下さい)。今回の生乳安全基準改定の裏に見える国内産業保護論、更にその裏にはこの国進民退、更に更にそれをマクロで語れば中国政府と市場のとの付き合い方、と言ったところまで考えることができる、意外と奥深いこの牛乳騒ぎです。
■あれ?!日本のほうが中国よりもハードルが低かった?
最後に少しだけ。オチ、じゃないですが補足です。
日本の食品衛生法では、特別に認定された「特別牛乳」以外の生乳は直接飲んではならず、普通の生乳安全基準は細菌数400万個/mlと、中国のよりもハードルが低いようです……。安全基準の設定というのも難しいものですが、今回はとにかく「緩和」も方向に向かってしまっていることが消費者の怒りを招いています。
安全基準自体の適否は自分も門外漢でわかりませんのでこの文章も議論しませんが、一つの側面としては、これは安全基準の問題であると同時に、官と民・メディアの間のコミュニケーションの問題という側面も大きいと感じます。
*当記事はブログ「北京で考えたこと」の許可を得て転載したものです。