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「共産党の腐敗はひどい」上海市トップの“本音”発言の意味―中国コラム

2011年07月01日

はやくも出世レースから脱落者か

20日、上海市トップである兪正声・市党委書記が、上海交通大学で講演を行いました。日本では「上海市トップの月給は1万3千元(約16万2000円)」というどうでもいいネタが紹介されていましたが、あの発言は以下の講演で出てきたものです。

兪正声の党課を受講--執政者の声(南方週末、2011年6月24日)

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南方週末の報道。


*当記事はブログ「中国という隣人」の許可を得て転載したものです。


■上海市トップの危険球発言

集まったのは、若い党員、予備党員や入党を希望する積極分子ら5000人あまり。彼らに入党の心得みたいなのを教える授業を「党課」と呼ぶそうです。

「永遠に党と歩む」と題された授業で、壇上に上がる前には『歌唱祖国』などいつもの紅いソングの合唱もあったそうですから、真っ赤な発言に染まったのかと思えば「本音を語りに来た。原稿読んでも聞かないだろ」と前置きして、中国共産党の誕生や新中国、文革、毛沢東、腐敗などに言及。

全部訳すと物凄い量になるので、気になった箇所だけ。

・党は大多数の利益を代表すべきで、党は利益集団ではない。私は政治局会議に出席し、多くの問題を討論したが、会議は各種の利益を反映していた。

・一部のメディアは五四運動の後に北洋軍閥が衰え、中国に資本主義発展の好機が訪れた。残念な事に、「救亡図存」(国家の存亡を救い、生存を図る)思想が中国に資本主義民主のチャンスを奪い、革命の渦に飲み込まれた。

・解放戦争は軍事的勝利であり、中国共産党の軍事が国民党のそれを上回ったという説があるが、私はそうは思わない。根本的には人民が擁護し、支持してくれたからだ。

・文化大革命の頃、母親(宣伝工作に携わった范瑾)が1966年に打倒され、1968年には監獄入りした。1975年に戻ってきたが精神に異常をきたしており、いつも迫害されているような感覚があったようだ。母は一昨年亡くなったが、その頃の体験を話してはくれなかった。(中略)親戚で6,7人が文革の頃に亡くなっている。

・30年来国家は大きな進歩を遂げたが、新しい問題にも直面している。1つは富の再分配の不公平さ、もう1つは党内の腐敗だ。私が見るところ、根本的な抑制には失敗している。

・現在の問題をすぐさま解決する事は出来ないし、「文革」のやり方で幹部の腐敗問題を解決することも出来ない。

多党制については「中国が政治家の競技場となる」と反対を示したものの、政治局が利権集団であるとほのめかしたり、薄熙来を批判する発言もあり、穏やかではありません。


■兪正声の弱気発言、党大会人事から脱落か

驚いたことに兪正声は「我今年都66歳了, 幹不了幾年了」とも口にしています。「私は今年66歳で、もう何年も仕事は出来ない」と老いを感じさせる発言。公開の場で同じようなセリフを口にした趙紫陽は失脚同然でしたし、常務委員昇格の道が完全に閉ざされてついつい口から出てしまったのでしょうか。

ここでもう一度来年秋に開催予定の党大会についておさらい。現在9人いる常務委員のうち、習近平と李克強以外の7人は任期満了に伴い引退が確定しています。来期も9人体制なら7つのポストが空くことになり、そのイスを巡って暗闘が繰り広げられています。

最も目立っているのが重慶市トップの薄熙来で、就任直後より公安系統からマフィアの影響力を一掃し、次いで紅歌合唱など真っ赤な活動を全面に推し進め、習近平から賞賛を勝ち取るなどの様子は何度かブログでも紹介しています。

薄は1949年生まれで、来年の党大会で政治局委員から常務委員に昇格できなければ、内規で63歳とされる政治局委員の定年にひっかかって即引退ですから、しゃかりきになるのも仕方ないのです。

兪正声は4つ年上の1945年生まれですから、いよいよ待ったなし。しかし、66歳発言を聞くと、どうも彼の戦いは既に終わってしまったような印象を受けます。その上で様々な党批判を読み返すと、単なる負け犬の遠吠えにしか見えないのです。


■高層マンション火災が命取りに?現場指揮権を剥奪

兪正声の失態というと、昨年11月に起き死者58人を出した特大火災でしょうか。先日調査報告が発表され、韓正市長は失職を免れたものの、国務院へ始末書を提出させられる処置に。兪正声はお咎め無しなのか、と思いきや当時の報道を読み返すと扱いの酷さが際立っています。
(参照:上海高層マンション火災関連記事


【動画】孟建柱が胡錦濤、温家宝の重用指示精神を伝達(捜狐、2010年11月16日)

火災発生直後の15日深夜、党中央から孟建柱・国務委員が事故の責任者として上海市入り。16日未明に到着した孟建柱は現場を視察するとまもなく会議を開き、上海市から聞き取り調査などを行っています。この時点で処理の権限が上海市から孟建柱に動いたことが分かります。


・孟建柱、上海特大火災事故の負傷者、遺族を慰問(東方網、2010年11月16日)

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東方網の報道。


写真を見れば分かりますが、けが人から一番近い位置にいるのは政治局委員で格上である兪正声ではなく、孟建柱。通常ならこういう構図はありえません。先の会議でも中心に鎮座しており、兪正声が孟建柱の下に組み込まれたような印象を受けます。

記事にも出てくるのは孟建柱の名前のみで、同行したはずの兪正声は最後に「同行した」と一度だけ名前が挙がっているだけ。なんという可哀想な扱いなのでしょう。

このような扱いを以前に受けた政治局委員がもう1人います。ウイグル自治区で毒針事件が多発していた頃、、やはり孟建柱が現地入りし、王楽泉・自治区書記(当時)に代わって事件の指揮を任されています。王はまもなくウイグルを離れ、孟建柱より序列が下の政法委副書記に「任命」されています。ですから、兪正声も同じような運命を辿るのではないかというのが私の想像なのです。

*当記事はブログ「中国という隣人」の許可を得て転載したものです。

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