中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年07月02日
この問いの答えは「多くはない」という残念なもの。ですが、中越関係特集を組んだ『Vista看天下』6月28日号に、庶民感情に触れた報道記事がありました。
両国の争いの歴史を(中国側の公式見解に沿って)紹介する一段もありますが、そこは省略して、ベトナム人、特に若いベトナム人の中国に対する思いを紹介している部分を紹介し、ベトナム人の反中感情について考えてみます。
雲南省河口と国境を接するベトナムのラオカイ。この地に住む25歳の男性・Aさんは国境を越えて雲南省蒙自市にある大学・紅河学院で学位を取得した。ベトナムに戻った今では、習得した中国語を武器に中国資本による高速道路建設プロジェクトで働いている。
ベトナムでは中国語のできる人材は貴重で、高給取りばかり。ただAさんは「中の上くらいだよ」としか話すばかりで、具体的な金額までは教えてくれなかった。
*東のランソンと並び、陸路の中国への玄関ラオカイは雲南省のすぐ隣。
中越関係は悪化し続けているが、ここラオカイの日常生活に変化はない。中国と近過ぎるからだ。毎日、中国からの観光客が入ってくるし、ベトナム住民も中国側に行く。彼らにとって国境線は「中国側に行くとお茶を良く飲み、ベトナム側ではコーヒーを良く飲む」くらいの意味しかない。
中国がベトナムを援助していた時期について、Aさんに聞くと、「ベトナムはそのことを忘れない、我々は恩義を忘れるような人々ではない」と答えた。中越戦争については、彼の両親は多くを語らないと言う。戦争の原因については、父母の言葉を借りつつ「中国がベトナムを叩いたのは、ベトナムの政府レベルで過ちを侵した人がいたんだろう」と話した。
(訳注:これはベトナム人としてはかなり珍しい意見かと思います)。
しかし、地に流れた血は取り返しがつかない。
(訳注:この後、王錦思氏のコラムが引用されている。同氏の文章については「「中国人は恨み深い民族だ」=ベトナム人が語る中国人像 」を参照のこと。ベトナムの歴史博物館を飾る英雄たちの多くが、中国に抵抗した者であると紹介されている。)
1990年、ベトナムのグェンヴァンリン総書記は「誤った政策を正し」(訳注:カッコは筆者)、中国との国交正常化に動き出した。当時5歳だったAさんにとって、国交正常化とはラオカイに中国人と中国商品がやってくることを意味した。国境を通行する中国人観光客は、1990年当時で年にのべ1万人程度。それが2005年には752万人にまで増えた。
今日のラオカイでは工事現場のトラックは中国製のHOWAか東風、ただ乗用車は日本のホンダか韓国の現代が人気だ。地元の人にとっては中国商品は安いが質が悪いもの。TCLのテレビが比較的よく売れるのは、韓国ブランドっぽいと思われているからだ。
国境地域に住むAさんのようなベトナム人は、中越両国の新聞を読んでいる。「双方で言い分が全然違う。あちらはベトナムが中国領海を侵犯していると言い、ベトナムはその逆だと言う。それぞれ意見はあるのだろう。自分が知っているのは、我々は中国とは絶対戦いたくないということだ。こんなに小さい国で、どんな馬鹿が中国に挑戦しようとは思うと言うんだい?」
ここ数日、やや緊張が緩まってきた感もあるが、それもAさんの予想通りのようだ。彼にとって最大の関心事は中越の対立ではなく、早く彼女を見つけて結婚することだという。