中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年07月16日
私はここに、民主と公正を追求し、チベットに同情する人たちに呼びかけたい。あなたたちの力を活かし、チベット人とともに神聖なカン・リンポチェとマパム・ユムツォを守り、チベット文化と生態環境の切実な問題に重大な注意を払ってほしい!
聖山と聖湖を金儲けに使う『開発』の中止を
原文:http://p.tl/53-8
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん
■聖山カン・リンポチェ
私は9年前に聖山カン・リンポチェ(カイラス山)を巡礼し、約20時間で周回52キロのコルラ(右繞)ルートを歩き切った。カン・リンポチェの不思議な山容が突如姿を見せた時、まさに仏教の象徴の現れ、マンダラを目にしたような気がした。
それほど清らかで澄み切っていて、汚れがなく、人に真理を悟らせる姿だった。信仰を持たない者にとって、それは普通の礫岩層の山体でしかない。だが今日、営利至上主義の商人にとっては、珍しい物好きの旅行者をおびき寄せるえさ、利益を得るための道具になっている。
中国で人気のミニブログ新浪微博で、カン・リンポチェから戻ってきたばかりのネット民がつぶやいていた。巡礼路上で今、道路の基礎になる砕石部分を広げ、自動車道を造っている、と。まもなく各種車両が巡礼拠点タルチェンから半周地点のディラプク・ゴンパまで直行できるようになるという。電柱が建っているのも見たと書いていた。
■聖地の観光開発
北京に本部を置く国風集団傘下の西蔵旅遊は、聖山カン・リンポチェと聖湖マパム・ユムツォ(マナサロワール湖)に旅遊区を設けることを「担当」するという。ネットで公開されている「西蔵旅遊2010年度非公開株式発行方案」を見ると、「阿里(ンガリ)地区聖山聖湖旅遊区開発プロジェクト」「景区開発、ホテル建設、環境に優しい車両の配備、酸素供給所などの設備投資」などと並べ立てている。
明らかに聖山と聖湖を株式発行の名目としたもので、「正門、展望台、(中略)景区自動車道など」を造るとしている。宗教聖地の商業化という問題だけではなく、酸素供給所などの事業ごみも環境汚染を招くだろう。
■クロスカントリー大会を開催
7月31日から8月11日まで開かれるカン・リンポチェ周回クロスカントリー大会(第1回慈善コルラ大会)の計画が鳴り物入りで進められている。
事業を請け負う北京極度体験戸外探検運動のサイトによると、参加費は「団体のうち、商業チーム(企業、企業クラブ及びその他の営利組織をスポンサーにしているか、組織名を使っているチーム)は6万8000元(約85万円)。非商業チーム(民間)は5万6000元(約70万円)。個人参加は1人1万5000元(約18万8000円)」となっている。
今回の活動は「慈善」を旗印として掲げてはいるが、カン・リンポチェ商業化の一端を担っていることはもう明らかだ。これは根拠の無い憶測ではない。既に多くの聖山、聖湖がこのやり方で商業の俎上に載せられてきたのだから。
■「精神の極地」を破壊する「観光帝国主義」
現在の行政区画では、カン・リンポチェとマパム・ユムツォは阿里地区普蘭(プラン)県にある。チベット文化とインド文化を理解する人なら分かっている。それらは決してありきたりの山と湖などではなく、四大宗教(チベット仏教、ボン教、ヒンズー教、ジャイナ教)が最も神聖で無上のものと考える「精神の極地」(ブッダの言葉)なのだ。だから多くの信徒にとって、伝統的にカン・リンポチェとマパム・ユムツォの巡礼は生涯で欠かすことのできない経験になっている。
徒歩で聖山と聖湖を回るのは、気の遠くなるほど長い年月を重ねてきた巡礼スタイルだ。ただ必要なのは徒歩、つまり自らの力によって宗教的な境地に達する昇華であり、自動車道や遊覧車ではない。それらは物珍しさを求める観光客を引き寄せるだけだ。
文化人類学の理論によれば、一種の「観光帝国主義」的行為だ。聖山と聖湖の冒涜、破壊につながる。ある人は悲しみながらも、「いつか『ロープウェイで聖山を回ろう』(訳注・チベット鉄道開通にちなんだ歌「鉄道でラサに行こう」のもじり)って歌を聴くだろうね」と嘲った。
■環境保護の観点からも開発をやめるべきだ
長い歳月の中で信仰者が聖山と聖湖に与えてきた神聖性をひとまず論じないとしても、特定の場所で聖なる区域を保ち、むやみに草木の一本一本や山河に手を加えないことは、信仰を抱く民族が時間をかけて文化的な方法で作り上げた特殊な自然環境保護と言える。
人と自然が溶け合った「文化環境観」を体現し、衆生の共有地を効果的に守り、わずかな土地を人類の伝統と信仰のために残す。これこそ全人類共有の「自然遺産」「文化遺産」であり、当然大切にし、尊重すべきだ。
誰もが知るように、(北極、南極に次ぐ)「地球の第三の極」と呼ばれるチベット高原の山河は地球全体の環境に重要な意味を持っている。チベットでは今、狂ったように各種の採鉱やダム建設、観光業などの「開発」が進められている。これはチベット民族の聖山、聖湖と宗教文化に対しても、チベット高原の生態系に対しても、また、地球全体の環境に対しても、回復しがたい打撃を与えている。
今年1月14日、尊者ダライ・ラマと中国国内の知識人のテレビ会談があった時、江天勇弁護士は「氷河融解や森林消失、採鉱は水源の汚染を招いていて、待ったなしの状態だ。しかし政治問題では、チベット人はまだ5~10年は待てる」と言った。
尊者は「私個人が最も心配しているのは、深刻な破壊を受けた生態環境を回復させるのはとても難しいということだ。特にチベット高原の環境が破壊されれば、アジアの大河の源流は極めて大きな影響を受け、数十億人の生命が脅威にさらされるだろう」と答えた。
■「発展」という名の狂気じみた強奪
「発展」という名の狂気じみた強奪は、王力雄が著書『鳥葬:チベットの運命』で書いている通りだ。
チベットは行動能力を失った人間のように世界の屋根の白い頂に横たわっている。あちこちから飛んできたタカやワシは欲しいままに次々と大地を引き裂き、必要な部分をついばんでいく。主権を強奪し、民意を奪い、イデオロギーを吹聴し、国際社会の機嫌を取るのだ。。また、貪欲な商人や野生動物の密猟者、刺激を追い求める旅行者、現代文明にうんざりした西洋人らもチベットに押しかけ、必要なものを取っていく。歴史を振り返ってみても、チベットが外部の力によってこれほど操られ、為す術もなく、思う通りに動けなくなったことはなかった。