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「ゲド戦記と全然違う、ちゃんと面白いね!」中国人による「コクリコ坂から」レビュー

2011年07月28日

スタジオジブリの最新作「コクリコ坂から」。「大ごけしている」「思ったよりも面白い」「『耳をすませば』以来のうつ映画」など、いろんな評判を聞きますが、実際はどうなんでしょう?

各所でレビューがでているわけですが、KINBRICKS NOWではちょっと趣向を変えて、中国人による「コクリコ坂」評を掲載します。きわめて日本的な文脈を持つ本作はどのように見えたのでしょうか?

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*画像は「ココリコ坂から」公式サイト

原点に回帰したジブリ
作者:panda♪
豆瓣、2011年7月20日

横浜で『コクリコ坂から』を見てきました。
もともとは宮崎家の息子をバカにしてやろうという思いだったんですけどね。なんといっても、あのゲドはちょっと許せなかったし。ただ何も期待せずにいったから逆にっていうことかもしれないけど、映画を見終わった後、予想外の喜びを感じたよ。

東京五輪の前年、時代の最先端の街・横浜が舞台なんだ。ジブリは過去数作続けていたファンタジーとはお別れして、もう1回、日本を舞台する道を選んだ。それはジブリが最も得意としている分野と言える。

ストーリーだが、前半はなんと「強制土地収用」のお話なのだ。どうやら土地収用ネタは国際的なメインテーマらしいね(笑)。学校は古い学生会館を壊そうとするが、会館を使うサークルの代表・俊は飛び降りしようとして抵抗する。この行動でヒロイン・海の心をゲットすることに成功したのだった。未成年諸君、真似することなかれ。

学生会館の中でストーリーは展開されていくが、一目見れば、背景のすごさが伝わるだろう。学生会館はジブリの力の結晶ともいうべき宮殿となった。乱雑に物が置かれた様子が描かれているが、自然さを失ってはいない。自在に生活感あふれる情景を描く力は、全宇宙でもジブリにしかない

さて、俊に引かれるようになった海は、日常生活の日々から次第に学生会館防衛闘争へと加わっていくようになる。そして、映画の後半では二世代の人々の感情の高まりがそれぞれ描かれることになる。これは日本人特有の手法だが、青春期の不安とあいまった小さな恋心は最後に次世代へと受け継がれるものなのだ。
(ネタバレはここまでにとどめよう)

シナリオを宮崎駿が手がけたためか、映画全体の起承転結、その出来は非常に精巧なものだった。
作画は試写会のヒザ問題があったにせよ、全体的なレベルは直近の数作と比べても高かったのではないか。
(ヒザ問題とは、宮崎駿が初号試写会で、ヒザの描き方がなってないとあるアニメーターをしかったというもの。日本語でググってもでてこないが、中国語ではそのニュースが出てくる不思議……:Chinanews)

それから、立ち退き闘争の男子学生モブの中に、「平成狸合戦ぽんぽこ」のキャラクターも見えた。俊と海のやりとりは「耳をすませば」や韓国映画「ラブストーリー」のようだなとも思ったり。

南方週末が普通の新聞社ではないのと同様に、ジブリもまた普通のアニメ制作会社じゃない。ジブリの作品は日本社会への思いや期待を表現したもの。その意味では日本で最も中心的で保守的な思想を体現していると言える。
(南方週末は民主派寄りで知られる中国の新聞)

かつて、ジブリの作品は大半が日本のある特定の時代背景をベースに作られていた。大きな時代状況の中で逆境にさらされた人、または孤高を貫く人の姿が描かれた。もしくは無名ではあるが生き生きとした主人公たちの喜怒哀楽の物語が描かれていた。その後、会社としての成長にともない、ジブリのアニメは人と自然、生命の意義を考える作品が作られるようになる。

「コクリコ坂から」では、1963年の日本が舞台だと明言されている。この時代は宮崎駿が説明したとおり、新たな時代へと変わる陣痛に満ちた時代、貧しいけれども希望に満ちた時代だった。

長い景気低迷を経験した日本社会、次第次第に過去を懐かしむ感情が広がっている。こうした日本人の考えをくみ取るかのように、ジブリは作品の舞台を日本経済高成長の原点、そしてジブリの創作の原点へと戻した。海と俊の物語を通じて、人々の心を震わせる黄金時代に賛歌をささげている。

まとめると、「コクリコ坂から」は宮崎親子の努力によって、ジブリの名声に恥じない作品になったと思う。見る価値はある。

映画館の観客は、ジブリのメインターゲットである女性だけではなく、過去を懐かしく思う老人もいっぱいいた。だけど、若者、特に外国の若者に本当の意味で共感を呼び起こせるかというと、それはちょっと難しいんじゃないかな。


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