中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2011年07月25日
現時点までの事故の経緯や中国国内の反応は、以上のブログで非常に上手くまとめられていますので、特に付け加える事はありません。
事故を起こしたのは高速鉄道でも最低ランクの列車で平均運行速度は150キロ程度だとのことですが、それでもコントロールできないのだから300km運行の高速鉄道など更に危なそうな感じです。
私は友人などには常々死んでから乗るよう布教してきましたが、事故後の対応を見ていると、まだ乗るに足る信頼性はありませんね。
■人民日報のアグレッシブな報道姿勢
7月25日付の人民日報一面は「中央軍委晉升上將軍銜儀式」(中央軍事委員会、上将昇進式典を開催)がトップニュース扱い。負面新聞(マイナス報道)である鉄道事故に全くタッチしない。党中央のアグレッシブな報道姿勢が再確認できました。
習近平が常務副主席になって初の将軍職ばら撒き大会ですし、今回昇格した将軍達は胡錦濤側か、はたまた習近平側なのか。一体どちら側の人間なのかなどと考えると夜も眠れなくなる面白そうなイベントではあるのですが、私にそれは重荷な作業なのでご勘弁下さい。
■1988年に起きた上海市郊外での列車事故
さて、中国の鉄道事故と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは1988年に上海市郊外で起きた列車事故です。修学旅行中の高校生を含む88人が亡くなる大惨事だったのですが、この時鉄道部長を務めていたのが、江沢民時代に宣伝部長を務めていた丁関根という人物です。
新中国誕生前には、喬石や銭其シンらと共に地下活動に従事し、鉄道部入部後は技術官僚としてキャリアを重ねています。文革期に一時期干されて五七幹部学校に飛ばされてたこともありましたが、復帰後は再び鉄道部に戻り、当時鉄道部長だった万里からの評価が高く、鄧小平のブリッジ相手として顔を繋ぎ、政界に食い込んでいきます。
1985年にはついに鉄道部長に昇格し、1987年の十三大(第13回党大会)で中央委員から政治局候補委員に昇格するなど順風満帆だったのですが、件の列車事故で引責辞任を余儀なくされ、副大臣級に降格される苦汁を舐めるハメに。彼の再起は天安門事件以降となりました。
今回の事故は犠牲者は中国人が殆どのようですが、現時点で死者は42人。実数を発表するかは別にして恐らくもっと増えるでしょうし、賠償金額でも揉めるでしょう。
列車を現場で埋めたり、高速鉄道で故障が相次いでも「他の国でも開業当初はあったこと。次から本気出す」みたいなことをそしらぬ顔で言わせていた鉄道部にお咎めが来ないはずはありません。いえ、事故の管轄区ではすでに人事に影響が出ています。
■さっそく上海鉄道局長が免職に
動車追突の問責第一歩「最帥」鉄道局長免職(環球時報、2011年7月24日)
*在経時報の報道。
さっそく事件の責任をとる形で、龍京・上海鉄道局長、李嘉・上海市鉄道局党委書記、何勝利・副局長が解任されました。特に龍京局長は男前で有能と評判。男前かどうかは皆さんの判断に任せるとして、上海にやって来てまだ1年足らずでの引責辞任であります。
環球の見出しが「第一歩」とあるように、二歩目もあるような含みを持たせているのがおもしろいです。当然、鉄道部長の盛光祖にまで累が及ぶかどうかが二歩目と考えるのが筋というものです。
盛光祖は前任の劉志軍が「汚職容疑で」解任された後、税関署長からスライドしてきた人物です。劉は江沢民に近い、いや盛は江沢民の遠い親戚だと、なかなかカラーリングが難しいのですが、代替わりの際に列車高速化政策をあっさり放棄していること、劉解任後も続々と部下達が連座のように取調べを受けていることから、盛は胡錦濤人事であろうと思われます。
(関連記事:「「時速世界一やめます」スタートから4年、転機を迎えた中国高速鉄道」KINBRICKS NOW、2011年4月16日)
半年間で2人も大臣の首を挿げ替えるとなると、SARS隠蔽で北京市長になりたての孟学農が解任されて以来となりますが、江沢民派の衛生部長を道連れにした痛み分けだった当時とは異なり、盛以外に背負える人がいない今回はどうなるのか。解任された場合の後任人事にも注目したいと思っています。
*当記事はブログ「中国という隣人」の許可を得て転載したものです。