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2011年07月29日
11日間寝ていたという言葉が、言い訳ではなく本当なのかどうか。これは総理の側近、そして総理自身しか知りえません。しかし動向を見てみると(新華網)、18日にイラク首相と会見している写真、21日にカメルーン大統領と会見している写真はあるものの、ほかはすべて写真なしの常務会議となっています。地方の視察もありません。しかも、事故があった23日前後は動静が途切れていることもあり、温家宝総理の言はあながちウソともいえないといえます。
■保守派の牙城として君臨してきた鉄道部
鉄道部は中国政府の中でも、とりわけ保守色の強い部門であることは有名です。軍の戦車やトラックなど主要な物資や武器の国内での輸送手段は主に鉄道が使われています。鉄道部は軍と同じぐらいの発言力を政府内、共産党内で持っているとも言われているのです。
2000年以降、朱鎔基前総理、温家宝総理と2代の総理が国務院機関(省庁)の再編、改革に取り組みました。多くの部門が再編・改称される中、鉄道部だけは手を着けられないままでいたのです。いわば、「中国の旧態依然の体制が残っている最後の楽園」ともいえます。
つまり、中国鉄道部は江沢民派の牙城として、その力を保ち続けてきたのですが、今年2月に様相が一変する大事件が起きます。江沢民派と目されていた劉志軍鉄道部長が汚職容疑で更迭され、代わって非江沢民派の盛光祖氏が新しい鉄道部長になったのです。盛光祖氏は鉄道部に乗り込んだお目付役という立場を担うことになりました。
■鉄道部の暴挙を許したのは温家宝の病?
もし……、冒頭の温家宝総理の言葉がウソではなかったならば、温家宝総理を初めとした非江沢民派はこの2週間近くの間、政治的に手薄な時期を作ってしまっていたことになります。その手薄な時期の真っ只中に今回の事件が起きてしまったわけで、鉄道部内の江沢民派がこのような状況に乗じて一気に事故処理の主導権を握り、事故発生当日に鉄道車両を埋めてしまうという暴挙に出た可能性があります。
温家宝総理の28日の会見によると、温家宝総理は事故が発生した後、いち早く電話で鉄道部長に「『救人(人命救助)』あるのみである」と伝えたとされます。鉄道部長がこの温家宝総理の言葉を実際に現場に伝えたかどうかは分かりません。しかし、現場の行動が人命救助とは真逆なものであったということからして、鉄道部長の統制力が取れていなかったことは明白です。
■国の権力闘争に翻弄された被害者達
一度は埋められてた事故車両ですが、後にまた掘り起こされています。この変化には、病床にあったにもかかわらず動き始めた温家宝総理の力が作用していると見るのが自然でしょう。上海鉄道局長の交代や事故原因の究明姿勢など、ここ数日鉄道部が事故解決に向けて「まともな」措置をとり始めているのも、背後に温家宝総理がいるからだと私は考えています。
結果的に今回、高速鉄道事故の死傷者は国の権力闘争に翻弄された形になってしまいました。国家権力という大きな壁を死傷者、そしてその家族たちは打ち破ることができるのでしょうか。
*当記事はブログ「中国語翻訳者のつぶやき」の許可を得て転載したものです。
*温家宝病気発言については、水彩画さんが異なる解釈を示しています。記事「「俳優王」温家宝がようやく登場=「病気で来られなかった」とバレバレのウソ」を参照。