• お問い合わせ
  • RSSを購読
  • TwitterでFollow

金メダル4個の英雄を国家代表から追放=中国スポーツ界の過渡期と「問題児」たち―中国

2011年08月05日

2011年8月4日、中国冬季スポーツ管理センターは、五輪で通算4個の金メダルを獲得した女子ショートトラックスピードスケート中国代表のエース・王濛選手の代表追放を発表した。先月末のチーム代表との乱闘事件を受けてのもので、国内外の試合参加無期限停止処分も科された。チームメイトの劉顕偉選手も同様の処分を受けたほか、周洋選手には戒告処分が下った。

共同通信は「王濛 酔って代表監督と乱闘で代表追放」とのタイトルで事件を報じている。「王濛は青島で合宿中の7月24日に、飲酒で門限を破ったことを注意されて監督を殴る騒動を起こした」と新華社の王濛悪者論をそのまま報じているが、中国民間メディアはちょっと違ったニュアンスで事件を伝えている。

20110805_wangmeng1
*画像は南方都市報の一面。両手を負傷した王濛。


■悪者・王濛が一番の重傷

事件の経緯は4日付網易に詳しい。

24日夜、王濛ら6選手は外出して酒を飲んでいたが、帰宅が遅れ門限を破ってしまった。宿舎に戻った後、王春露チーム代表と衝突し、ケンカへと発展したというのが発端だ。

王春露の肩書きについて、共同通信は「代表監督」と訳 しているが明らかな誤訳である。チーム代表(中国語では「領隊」)とは監督とは別の役職で、チームの引率事務一切をしきる役割を持つ。王春露は1978年生まれとチーム代表としては異例の若さ。女子ショートトラック3000メートルリレーで世界選手権を優勝した元スター選手という経歴のなせるわざだろう。

また、「監督を殴る騒動」と報じているが、王春露も負傷したようだが、その怪我は王濛ほどではない。王濛は数十針を縫う重傷を負って入院している。事件後、王濛ら選手一同は連名でチーム代表交代を求める陳情書を冬季スポーツ管理センターに提出。「内乱」がどのように決着するかが注目されていたが、選手ではなく管理職側を支援する裁定が下された。


■中国スポーツ界の過渡期と「問題児」たち

王濛がいわゆる「問題児」であったことは事実だ。2007年の冬季アジア大会では監督との確執が表面化。公開の場で批判したことにより、代表チームから追放された(半年後に復帰)。今年6月には雲南省麗江市で王濛を含む女子ショートトラック代表選手十数人がメシ屋で酔っぱらい、現地警備員と乱闘騒ぎになる事件も起こしている。

だが、その「問題児」に同情的な態度を示す人も少なくない。その背景には中国スポーツの変化があげられる。社会が豊かになり、スポーツの商業化が進むにつれ、選手たちは「国家の栄光のため、厳しい特訓に文句一つ言うことなく耐える愛国スポーツ選手」像を演じることを拒むようになりつつある。だが国のスポーツ制度は旧態依然としたもの。そこに矛盾が生じているのだ。

今年の女子テニス全仏オープンでアジア出身者として初めて優勝した李娜は、窮屈な国の体制に「問題児」として勝負を挑み、自らの主張を通した勝利者だった。李娜はグランドスラム優勝という栄誉を勝ち得ただけではない。ステートアマ体制から抜け出しても、自らの力で勝利をつかむことが可能だと証明したのだった。
(参照記事「「叛逆」のカリスマ・李娜が全仏オープンで優勝、伊達公子を超えアジア史上最高の選手に」)

中国のスポーツ界は明らかに変わりつつある。とはいえ、高度にプロ化された個人スポーツであるテニスでは認められたことが、ショートトラックでも認められるとは限らない。だが、それでも王濛は戦い続けるようだ。処分が決まった後、王濛は独自の記者会見を開くとマイクロブログで告知。「真実を話す」と当局と争う姿勢を示している。


トップページへ

コメント欄を開く

ページのトップへ