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【イギリス暴動】喜び勇んで仕返しした中国官制メディアの社説―政治学で読む中国

2011年08月11日

■イギリス暴動に対する中国の評価■

環球網』にイギリスの暴動に関する社説「英国人,今后最好别太刻薄」(イギリス人よ、今後はあまり冷酷にならないほうが良いですよ)が掲載されています。大変興味を引かれたので、今日はこれについて少し。

大変風刺の効いた書き方で、言い方は比較的穏やかですが、内容はかなりきついものとなっております。記事の書き出しは、
「今回のイギリスの暴動に対し、中国政府は沈黙を守っている。中国メディアの評論も抑制的だ」
と始まります。おいおい、何が言いたいのかという感じですが、続く文章を見るとだいたいの主張が見当がつきます。
「中国世論は、イギリス世論のやり方を学び、「青年たちの起義(決起)を鎮圧」した英国警察を非難することができた。少なくとも中国政府は英国政府に対し、「抑制的な態度を採る」よう呼びかけることができたはずだ。

20110810_london_riot
鳳凰網の報道。


*当記事はブログ「政治学に関係するものらしきもの」の許可を得て転載したものです。


■北京五輪聖火リレーのお返し

上記引用をまとめれば、「中国が英国を批判しなかったのはなぜか?」ということに尽きるわけですが、つまり

「中国が国内のデモを鎮圧したときは、欧米のマスコミ、政府は散々中国を非難した。だが、イギリス政府に対し、中国は(マスコミも政府も)同様に批判することはない」
とあてこすっているわけです。続けて、
ロンドン五輪まですでに1年を切っている時点での暴動に、「五輪の安全を保障する能力があるのか?」との疑問を開陳することも中国世論にはできたのだ。

としています。これもかなりきつい皮肉です。北京オリンピック前には、チベット暴動を受け、欧州を中心に抗議活動がひろがりました。当時、言われたこと言い返しているわけです。

「中国のメディア、中国政府が非難しないことを、イギリス人はありがたいと思わないだろう。何故ならイギリス世論は、中国語のような言語が西方の世界の権力を批判する権利があるなどと思っていない。彼らが聞きたい中国語は「申し訳ありません。私たちが間違っていました」という言葉なのだから。」

と強烈に皮肉っています。


■「中国的人権論」


日頃言われていることを、ここぞとばかりに言い返してやれという感情が見え見えです。イギリス暴動の要因の1つには人権問題があるとも言われていますが、「欧米は人権を守るということを旗印にしているが、社会の管理はどうなってもよいのか」と主張しています。

「人権」と「社会の管理」(治安)を並べる考え方こそ、中国人権理論の根幹に位置する発想です。中国にとっては社会の安定がなにより大事。それなくして人権も国の発展もあり得ないというのが「中国的人権論」の基本思想なのです。中国で暴動が起こるたびに、欧米の人々は秩序を乱す者たちに対する支持を表明してきたが、「やっと中国の主張の正しさがわかっただろう」とでも言いたげな社説です。


■「先進国の騒乱」と「途上国の革命」


「思い出しておくべきではないか?あなたがたイギリスは、他国(中国)がおもわしくない状況にある時、何を行ってきたかを。それは親切な人が言う言葉だろうか?」という言葉から最後の主張がはじまります。面白かったので、大意を載せておきます。

イギリス人及びその他の先進国の指導者たちは、「この世は黒でなければ白」という単純な世界でないことを知っておくべきだ。先進国での騒乱はあくまで騒乱として扱われるが、ひとたび発展途上国で起これば「革命」とみなされるのはなぜか?発展に差があることは現実だが、民衆が安らかに暮らしたいという願望は共通している。

どの国にも「革命を妄想する」輩はいる。だが、西側諸国が嫌いな国でのみ、「革命」を起こしてもよいなどという事態は歴史が許さない。

他人を尊重することは自分を尊重することだ。イギリスは「文明国」ではないか。「他人は尊重しないが、自分だけは尊重する」という奇妙な論理を世界に発信するべきではない。


■飛び火を恐れた過小報道

記事があまりに興味深かったので、訳が多くなってしまいました。最後に私のコメントを。「イギリス政府が困っているのに、喜び勇んで大々的に暴動を報道したりはしない」という恩着せがましい主張は額面通りのものではないでしょう。下手に報道して暴動が中国国内に飛び火してはたまらないという考えがあったからだと推測します。

ただでさえ、高速鉄道追突事故などでを契機に政府に対する不満が蓄積されているわけですから、暴動報道を通じて、「イギリスでやっていいのならうちも」となったらたまったものではないでしょう。

また、もしこの暴動が中国で起きていたとしたらと仮定するのも興味深い思考ゲームとなります。世界に報道することを許しただろうか。暴動の拡大は警察など不手際も一因というが、中国ならばどれほど過酷な取り締まりが観光しただろうか。その後の刑事手続きはどうなるのか、などなど。

英国に皮肉を言うのも結構。ただ足元がきな臭い中国はやはり自分のことを考えたほうがいいのではとも思うのですが、『環球網』にその仕事を期待するのは無理ですね。

*当記事はブログ「
政治学に関係するものらしきもの」の許可を得て転載したものです。

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